適切な施設を紹介するために、「将来的に、あなたの奥様が仕事をやめて、自宅で介護をされるおつもりですか」とたずねると、「まだわからない」、「施設は、いままでお母様の住まれていた地域がいいですか、それとも今の(男性の)お宅の近くのほうがいいですか」「まだ決めてない」といった答えです。こちらが「では一度、もち帰ってもらって、ご家族で相談してください」と勧めると、「そんな時間はない! 専門家のあなたたちがどうしたらいいか言ってほしい」の一点張り。せっかちに結論を促す男性に何度も堂々巡りを繰り返して、私たち職員はむなしく疲れ果ててしまいました。

■自分の生活についての意思がないケースが多い

 時間をかけたにもかかわらず、なぜ面談は平行線に終わってしまったのでしょうか。

 私は、男性に、親の介護を含めた自分の生活に対する「意思がない」ことが原因だと思っています。勘違いされがちなのですが、この「意思」は親ではなく、「子ども(自分)の生活、幸せの形」についてのものです。

 自分は介護離職をするのかしないのか、いままでどおり親とは離れた場所で暮らすのか、妻には仕事を続けてもらうのか、自分の子どもたち(老親にとっては孫)にも介護に参加してもらうのかなど、自分で自分の生活をつくる意思と、それを具体化するためのプランがなければ、親の施設を選ぶことはできません。

「私のことはどうでもいいんです、母親(父親)のことなんですよ」と言われるかもしれません。もちろん、親の考えや希望を尊重するのはいうまでもありません。しかし救急搬送されたそのときから、施設を選ぶというような親の生き方を子どもが決めるという状況では、得た情報を選択して主体的に進めていくのはあなたの意思なのです。どうでもいいはずがありません。そこでは、親の介護や生活は、あなたの幸せの形の一つとして、つまり「自分のこと」として考えていいのです。

 それがないと、前述の男性のように施設の選択のしようがありません。

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制度やサービスは意思を実現するための道具