朝日新聞で、コラム「アロハで猟師してみました」や「新聞記者の文章術」を担当する近藤康太郎のもとには、文章の書き方や勉強の仕方を学ぶため、社内外の記者が集まってくる。その文章技法を解説した『三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾』(CCCメディアハウス)に続き、読書法や勉強の仕方についてまとめた姉妹編『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(同社)が刊行された。多数の方法が紹介されている本書より、新聞記者ならではの読み方を一部紹介する。
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寝起きのスマホは最悪
自分に“スイッチ”を入れた直後の、起動する前の、意識と無意識のはざま、夜と朝のあいだに、本を読む。これは絶対の自信をもっておすすめする方法だ。人生が変わる。変わった。
寝起きにふとんの中でスマホをいじるのは、一日の始め方としては最悪の選択だ。どれだけ長く画面に滞在させるか。スマホはそれを、パソコンやテレビ、だいぶ落ちたが新聞や雑誌と競い合っている。
人間はみな、一日に二十四時間ずつ死んでいる。その、もっとも貴重な限りある資源を、企業が奪い合っている。換金しようとしている。
一分一秒でも多くスマホ画面で時間を費やしてほしいから、依存症になるように中毒性のあるコンテンツ・機能を開発して織り込んでくる。「いいね」も炎上もコメント欄も、ゲームも、ポルノも、みんなそうだ。
書物で自分を世界とつなぐ
同じ中毒になるなら活字中毒になりたいと、わたしは思う。目が悪くなる以外は健康によく、カネがかからない。そのくせ現実から逃避する力は、人間が発明した利器のなかでも史上最強だ。なにしろ、人類が生んだ最大の幻影=言語で埋め尽くされているのが書物だ。
今日も自分は生きている。世界は壊れていない。そんな驚きと喜びで、一日を始めたい。夜のうちに枕元に本を置いておき、目が覚めたら、寝ぼけまなこでページを繰る。
たとえばわたしは二〇〇八年ごろ、朝の十五分だけ、ヘーゲル『精神現象学』を読んでいた。巻末の記録を見ると、読み終わるのに三年かかっている。
寝ぼけたまま難しい本を読んで、頭に入るのかとよく聞かれる。入らない。それでけっこうである。
ヘーゲルなんてあまりに難しく、たとえ寝ぼけていなくても、結局、何が書いてあるかよく分からない。であるならば、十五分、呪文のような文章を、ふとんの中で、ゆっくりと読む。
だんだん、意識がたちあがってくる。分からなくてもいい。頭に入ってこなくていい。眠くなったら二度寝しろ。とにかく、用意していた課題図書を、十五分だけ読む。