たったの一、二ページしか読めなかった。それでいい。しかし次の日も必ず読む。自分を世界につなぎとめる。書物で世界につながる。忙しい朝の、無駄だと思っていた十五分が、やがて一日を始めるにあたって欠かすことのできない儀式になっていく。

 落ち着く。自信が出る。自分で自分を、小さく承認できる。今日も生きていて、いいんだ。

忙しくても自分を承認できる

 そのころは、雑誌編集部でデスク(記事のまとめ役)をしていた。デスクの中でも、毎週、飛び抜けて多くのページ数を押しつけられ、ノイローゼになりそうだった。出入りのフリーライターにへんな言いがかりをつけられたり、その尻馬に乗る社員記者がいたり、自分の書き物も出版がうまくまとまらなかったりで、珍しく参っている年だった。一週間ほど会社をずるけて、とんずらした、なんてこともあった。

『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(CCCメディアハウス)
『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(CCCメディアハウス)

 会社にいたくないものだから、校了時間が近づくと、いそいそとTシャツ短パンに着替えていた。そのころ、自宅から勤め先まで自転車で通っていた。「それ、部員の士気を低めるからよくないよ」なんて、小うるさい同僚デスクから注意されたなそういえば。

 そんなときでも、朝はヘーゲルを読んでいた。ある日は朝しか本を読めなかった。しかもさっぱり分からない。それでいい。一日最低でも十五分は読んでいる。そういう人間は、明日も生きていていいだろう。

 忙しくても、落ち込んでいても、できる。できた。どんなに多忙な人だって、起き抜けからいきなり仕事などしていない。どんなに落ち込んでいる人も、起きてすぐに悲嘆なんかしていない。ぼんやりしている。

 そして、これさえできない日は……。それは朝、目覚めなかったときだ。「お呼び」がきたときだ。その日が来たら、仕方ないではないか。深く、安らかに眠れ。R.I.P.

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