5月5日、英国で行われたチャールズ新国王主催のレセプションでウィリアム皇太子(左)と談笑する秋篠宮ご夫妻(写真:アフロ)
5月5日、英国で行われたチャールズ新国王主催のレセプションでウィリアム皇太子(左)と談笑する秋篠宮ご夫妻(写真:アフロ)

 小室眞子さんの皇籍離脱時の一時金の金額や、圭さんの予定年収や米国でのマンションの家賃、警護にいくらかかるか、最近では秋篠宮邸の改修工事費用が30億円を超える等々、マネータブーがひじょうに強い日本においてはこれらの話題がとても世俗的なものに見えた。かつ、大きな金額の話題は極めてエモーショナルな反応を引き起こしがち。「秋篠宮家皇室に似つかわしくない」と感じる人が増えてしまった、と水無田さんは言う。

「加えて、悠仁さまの高校選びで紀子さまが世間のお受験ママのように高偏差値校への入学を求めたように見えた。次代の天皇と目されるお子様への教育方針が、皇室に無垢さや高潔さを求める人たちには相容れなく感じられたのではないでしょうか」

 では、どうすれば、皇室へのまなざしをより良いものに変えていくことができるのだろうか。

 水無田さんは、国民が皇室に望むのは、(1)血統の存続、(2)皇室文化・伝統の継承、(3)絶えざる象徴性の醸成だと考えている。しかし、そのすべてを満たすのは「とても難しい」という。

「たとえば血統を維持しようとすると、文化の継承や象徴性の醸成が難しくなる。男系維持のために旧皇族の男子で宮家を作る話もありますが、一度平民になった方が皇室文化を伝承できるのか、そこに私たちが象徴性を見いだすことができるのかは別問題。悠仁さまの代までは皇室に3点を兼ね備えた正統性を見ることもできるでしょう。でも、その後の代での血統の達成はとても難しいこと。そこに国民が象徴性を見いだし得るのかどうか」

 そうなったとき、国民は皇室にいまのように期待しなくなっているかもしれない。「高貴な人たちが何やら伝統行事をやってるな」などと、極めて形骸化したものになっていく可能性もあると、水無田さんは言う。

「バッシングがあるということは期待があるということ。象徴性を見いだせなくなれば、バッシングすらされなくなるでしょう。それはお互いにとって幸せなことかもしれません。でも、『国民統合の象徴』なるものがなくても、私たち国民はその文化、精神性の点で自立し得るのか。大切な点です。この先もずっと、皇室に象徴性を見いだせるのかどうか、決めるのはあくまでも主権者である私たち国民。いま、まさに分岐点に立っているのではないでしょうか」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2023年6月12日号より抜粋

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