(左から)さしみちゃん、松本紹圭さん(撮影/横関一浩)
(左から)さしみちゃん、松本紹圭さん(撮影/横関一浩)
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 バリアフリーやインクルーシブという言葉こそ一般的になったが、理念と現実はまだ遠い。発信を続ける車椅子ギャル、さしみちゃんと僧侶の松本紹圭さんが語り合った。AERA 2023年5月29日号から。

【ソロ写真】さしみちゃんと松本紹圭さん

*  *  *

松本:はじめまして。今日はここまでどうやって来ましたか。

さしみ:乗り換え案内では45分くらいですが、1時間半前には家を出ました。車椅子での移動は不確定要素が多くて、はっきり時間が読めることがほぼないんです。今日はスーツケースを持ったインバウンドの観光客が多くて、エレベーターを2回見送りました。駅員さんにはお願いしなかったんですが、駅に連絡してスロープを出してもらうとなると、駅員さんのリソース状況が大きくなって、2時間前に家を出ないと間に合わないんです。

松本:日常的に、2倍近く時間がかかるんですね。

さしみ:はい。たとえば、明治神宮前駅のエレベーターは、20分くらい待つことがあります。地下が深くて、改札の近くにエレベーターがあって、交差点の逆側にはない。一番近い移動手段だから、みんなが使うものになってしまうんです。交差点を渡れば移動できる一般の人と車椅子では、そもそも選択肢が違うと伝えたいんですが、伝わらない人もいると感じています。

■終わりのない掃除

松本:私は車椅子で移動したことがないので、話を聞いて、知っているようなつもりでも知らないことが多いな、と思います。

 浄土真宗の開祖の親鸞(しんらん)は悪人正機説を唱えた人で、自らの悪人性を見つめ、自らを愚禿(ぐとく)親鸞(愚僧の親鸞)と言った。人はバイアスを持っていて、世界をわかっていない。「私は間違っている」から始まり、それを自覚するという親鸞の眼差しは、いま大切な思想だと思います。間違っている者同士で何とかやっていくという視点を持った時に、ある種の寛容さが生まれ、笑い合えるんじゃないでしょうか。

さしみ:確かに、知らなかったことは私もあります。「ここしかエレベーターはないのに、みんなわかっているはずなのに!」と、私が知っていることが常識だと思って、怒りを感じてしまったんです。「わかってよ!」という硬い塊を他者にぶつけていくのではなくて、柔らかい布を広げるように「知ってほしい」を発信していくのは、大切なことかなと思うようになりました。

 知らないといえば、僧侶の方が普段何をしているのかも、私、知らないです。

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