■情報処理のスキル身につけWebの可能性を見抜いた

 失明自体は徐々に受け入れていった。けれども「普通に生きられなくなった」という挫折感が胸を覆う。中学を卒業した春、普通高校に進むか、盲学校高等部に通うかでしばらく思い悩んだ。

「当時、盲学校を出た後の進路は鍼灸(はりきゅう)とあん摩の専門学校ぐらいしか思いつかなくて、決められた生き方しかできないのは納得できないと思っていました。中学を卒業して盲学校行きを決めるまでの1カ月が一番苦しかった。目が見えない人としての人生を歩み始めるんだという覚悟が、なかなかできなかったんです」

 盲学校の入学式が過ぎても決断できず、家に引きこもって考え続けた。母親は、「自分で答えを出すのがいい」と黙って見守っていた。悩み抜いた末、盲学校行きを決断。4月中旬、入学の猶予ギリギリで滑り込んだ。

「『私、行くわ』と自分で決めた時が、障害を認めた瞬間だったんでしょう。進学したら、なんだ、みんな普通じゃんって元気を取り戻して。私、結構適応能力があると思いましたね(笑)」

 失明してから、理数系の勉強が苦手になった。例えば分数など上から数字や記号を並べていく「縦の表記」が点字では難しく、数式は横にズラズラッと長くなる。パッと理解しづらい。浅川は「目が見えなくても通用する専門職」として翻訳家を考えた。大学は英文科に進んだ。だが、視覚障害者には壁が大きいと断念する。

「紙の点字辞書だと、一冊の英和辞書が100巻分とかになっちゃう時代。引くだけで日が暮れてしまう。じゃあ同時通訳なら耳で聞いて口で伝えればいいと思うでしょ? ところが、事前に専門知識など大量の資料を短期間に読み込まないと仕事にならない。ああ、無理だわと」

 そんな中、情報技術やITエンジニアという視覚障害者の新たな職種が開きつつあった。視覚障害者の職業訓練校に、「情報処理科」があることを知る。大学卒業後はそこに通い、コンピュータープログラミングとエンジニアリング、情報処理の基礎的なスキルを身につけた。人生で一番勉強した2年間だったという。

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