23年1月、「AIスーツケース」を公道で初めて実証。このロボットの誘導で自らスタスタ歩いてみせた。来館者に体験してもらう機会も設けた。「やっぱり自由はいい。一人で食べ歩きとかしたい」(浅川)(撮影/鈴木愛子)
23年1月、「AIスーツケース」を公道で初めて実証。このロボットの誘導で自らスタスタ歩いてみせた。来館者に体験してもらう機会も設けた。「やっぱり自由はいい。一人で食べ歩きとかしたい」(浅川)(撮影/鈴木愛子)

「配慮のためだけの展示じゃなく、シンプルに人を感動させるところにゴールがある。インクルーシブの実践そのものですよね。何より浅川さんの存在そのものが僕らに気づかせてくれる」

■水泳選手を夢見た小学時代 徐々に視力が落ちだした

 浅川は、全盲であることをネガティブに捉えず、むしろ糧にしている印象だ。研究やものづくりの現場では意見をはっきりと表明し、ダメ出しもする。逆に出来栄えがよければストレートに感動や喜びも伝える。職員にとって「その率直さがいい刺激になっている」と櫛田はいう。

 研究者としては、日本IBM入社時から40年近いキャリアを持つ。現在も同社に籍を置き、未来館の仕事と兼務している。

 専門は「情報アクセシビリティ」。障害者や高齢者が、コンピューターやインターネット上の情報に不自由なくアクセスできるようにすることを目指してきた。

 入社12年目の1997年、まさにインターネットの黎明(れいめい)期に、視覚障害者向けにWeb読み上げ技術を搭載した「ホームページ・リーダー」というソフトウェアを開発し、普及させた。

 その後、2003年に米国女性技術者団体が選定する女性技術者の殿堂入りを果たす。09年、日本人女性としては初の米IBMフェローに就任。同社の技術職で最高職位であり、日本人ではノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈らに続く5人目だ。14年から米カーネギーメロン大学客員教授も兼務している。さらに19年に「全米発明家殿堂」(National Inventors Hall of Fame:NIHF)入りしている。スティーブ・ジョブズも名を連ねる、人類規模の発明を対象にした顕彰だ。「NIHFの授賞式で初めてプラダの黒のドレスを着た」のが思い出深いという。

 なぜ、浅川は世界から称賛されてきたのか?

 1958年、大阪府豊中市の会社員家庭に生まれる。小学生の時、水泳に夢中になり、「オリンピックの選手になりたい」と憧れる。

 ところが小学5年の秋から、徐々に視力が落ちていった。若年性緑内障だと診断された。

 きっかけとなったのは、プールでの事故。勢いよく泳ぎ、壁でターンしようとしたところで、手よりも先に顔が壁にぶつかった。手術を繰り返し、中学2年になり完全に失明した。

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