「コンピューターなんて誰も使っていない時代。『面白そう』と思って。入ってから苦労したんです。計算機のビジュアルがわからず、コンピューターの概念からして理解が難しかった。できればステイアウェイ(回避)したいなって感じ。でも障害がある私には選択肢が少なかったから、前に進むしかなかった。いったん決めたことは、とりあえず最後までやろうって決めたんです」

 折よく、日本IBMで英語点訳のシステムの開発プロジェクトが立ち上がる。応募して学生研究員に。大阪から離れて一人暮らしも始めた。当初はルームメイトと部屋をシェアしていたが、「食事は別々に」と取り決めた。

料理も自力で。彼女が世話好きじゃなかったのがよかった(笑)。おかげで自立できました」

 85年、日本IBM東京基礎研究所に入社。視覚障害者としては唯一の研究員だった。

 80年代は全国各地の図書館で、目が見えない人にも本が読めるようにとボランティアが直接紙にタイプライターで点字を打っていた時代だった。紙の上に凸で表現される点字は、複製も修正もできない。そこで浅川は、点字のデジタル化を進め、入力も一般に普及していたワープロのように簡単に出来るようにし、データ共有が容易な点訳のソフトウェアを開発した。

 彼女のキャリアの転換点となったのが、前出した「ホームページ・リーダー」の開発だ。

 世界の最先端のネット環境に触れていた浅川は、Webの可能性をいち早く見抜いていた。その日のニュースや辞書、オンラインショッピングなど視覚障害者の教育、就労、日常生活を大きく変えるサービスが立ち上がり始め、「誰でもWebという新たな情報源を活用できるようにするべき」と考えるようになった。急速に拡大を続けるWebが視覚障害者の情報環境を根本から変える有力なツールになり得るのではと確信したのだ。

(文中敬称略)

(文・古川雅子)

※記事の続きはAERA 2023年5月15日号でご覧いただけます

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