中村太地は10代の頃から、次代の将棋界を担う逸材の一人と目されてきた。貴公子然とした風貌は「西の王子」斎藤慎太郎八段と並び称され「東の王子」と呼ばれている(撮影/戸嶋日菜乃)
中村太地は10代の頃から、次代の将棋界を担う逸材の一人と目されてきた。貴公子然とした風貌は「西の王子」斎藤慎太郎八段と並び称され「東の王子」と呼ばれている(撮影/戸嶋日菜乃)
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 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。渡辺明名人、「初代女流名人」の蛸島彰子女流六段、「永世七冠」の羽生善治九段らに続く26人目は、2023年に順位戦でA級に昇級した中村太地・新八段です。発売中のAERA 2023年5月15日号に掲載したインタビューのテーマは「印象に残る対局」。

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「本当は、勝って決めなきゃいけないところなんですけど。でもA級っていうのは一つ大きな夢だったので。素直に喜びたいなとは思います」

 2023年3月9日深夜。順位戦のB級1組最終局が終わったあと、中村太地は自身のYouTubeチャンネルで、そうコメントした。中村は羽生善治九段(52)に敗れた。しかし競争相手の澤田真吾七段(31)も敗れたため、中村の昇級が決まった。

「プレッシャーもあったんですけど『羽生先生相手に、いい将棋指さないとな』っていうので、思いっきりぶつかっていくだけっていう気持ちでいたんですけど」

 中村からは反省の言葉が続く。それでもついに、ファンも自身も長く望んでいたA級の地位にまでたどりついた。

「B級1組は、周りを見渡せば強い人ばかりです。ここ最近の自分の成績だと、開幕前は、降級の心配の方が強いのかなと思ってました」

 B1は1年をかけ、13人の棋士が総当たりで対戦する。22年度は、A級陥落直後のレジェンド羽生が、1期で復帰できるかに関心が集まった。抽選の結果、リーグ最終戦で羽生-中村戦が組まれた。

「まず羽生先生とB1で対局するとは想像してませんでした。でもそういうことになって。大一番になりそうな予感もあったんですけど『羽生先生は昇級、僕は降級のからんだ一局なのかな』っていうのはけっこう本心で思ってたところです。蓋を開けてみると開幕から5連勝で上を向けるようになって」

 意外にも羽生の星が伸びない一方で、中村がトップを走る展開に。1月、中村は澤田との直接対決に勝てば昇級決定という一番を迎えた。やはり期するものはあった?

「そうですね。順位戦は17期やってきて、その一局の重みはわかってるつもりでいました。『決めるときに決めなければ』という気持ちでやってました。決められていればよかったんですけど、チャンスがあった中で逃してしまった。すごいわるい流れで羽生九段戦を迎え、本当に大一番になったっていう感じでしたね」

なかむら・たいち/1988年6月1日生まれ。34歳。東京都府中市出身。米長邦雄永世棋聖門下。2006年、四段。17年、王座獲得。23年、順位戦でA級に昇級し八段昇段。愛称は「東の王子」(撮影/戸嶋日菜乃)
なかむら・たいち/1988年6月1日生まれ。34歳。東京都府中市出身。米長邦雄永世棋聖門下。2006年、四段。17年、王座獲得。23年、順位戦でA級に昇級し八段昇段。愛称は「東の王子」(撮影/戸嶋日菜乃)

 最終局、中村は昇級がかかる一方、羽生は昇級、降級、いずれも関係のない立場だった。中村にとって羽生は、少年時代から仰ぎ見る存在だった。棋士になってからはタイトル戦で3度挑戦し、2度退けられている。そして今回も変わらず、羽生は鬼神のような強さをみせた。

「羽生先生は、めちゃくちゃ強いです……。やっぱり将棋の理解度が違う気がします。第一感で手がいい方向、本筋のところに行く。複雑な局面でも大局観が優れている。細かい終盤になってもめちゃくちゃ強い。ちょっと50代の方の終盤力とは思えません。とてつもない方です」

 敗れた中村は対局室を去り、帰宅の途についた。その後電話があり、澤田の敗戦と、自身の昇級を知らされた。

「A級はもちろん、小さい頃から夢見た舞台なので、そこで指せるのは、棋士冥利に尽きます」

(構成/ライター・松本博文)

※発売中のAERA2023年5月15日号では、A級棋士たちの印象や、A級で目指すことについても触れている。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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