
中日の若手右腕・高橋宏斗が開幕以来9試合に先発し、防御率2.47と好投を続けながら、1勝6敗、援護点はわずか6(6月8日現在)と、打線の“無援護”に泣いている。
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そして、過去にも好投すれども報われなかった名投手が多く存在した。
最も悲劇的だったのが、阪神時代の江夏豊だ。
1970年9月26日の中日戦、江夏は2回に内野安打を1本許しただけで、3回以降、パーフェクトに抑える。
だが、阪神打線も中日の右腕・田辺修の前に初回からゼロ行進。9回1死一、二塁のサヨナラ機も逃し、0対0のまま延長戦に突入した。
江夏は10回以降も気迫の投球で一人の走者も許さない。10回2死には、自ら左前安打を放ったが、後続が倒れ、無得点。さらに阪神は12回1死一、二塁も生かせず、投手にとって、最もストレスの溜まる展開になった。
思わぬアクシデントが起きたのは13回。菱川章を捕飛に打ち取り、2死まで漕ぎつけた直後、江夏は突然心臓発作に襲われ、マウンド上にしゃがみ込んでしまう。肉体的、精神的疲労によるものだった。
それでも気力を振り絞って再び立ち上がると、4番・ミラーを10球もかけて空振り三振に打ち取った。
だが、その裏、阪神は2死二塁であと一打が出ず、またしても無得点に終わる。
そして運命の14回、2回2死から打者34人を連続アウトに打ち取るという完全試合(27人)を超える力投を続けてきた江夏もついに体力が限界に達し、先頭の木俣達彦に左越え決勝ソロを被弾。その裏、阪神は無死二塁のチャンスをあえなく潰し、江夏はシーズン20勝目に王手をかけながら、無援護で負け投手になった。
ちなみに江夏は、シーズン最多奪三振の日本新記録「354」(その後「401」まで更新)を達成した1968年9月17日の巨人戦でも打線の援護を得られず、0対0の延長12回、自らのサヨナラタイムリーで決着。1973年8月30日の中日戦では、0対0の延長11回に自らのサヨナラ本塁打でNPB史上初の延長イニングでのノーヒットノーランを達成している。