「その音を聞いて、あわてて階段の残りを馳(か)け登るのはいやである。人がまだその歩廊へ行き著(つ)かない内に、発車の汽笛を鳴らしたのが気に食わない」(『第一阿房列車』)
百閒が乗り込まないうちに御殿場線の列車は動き出した。落合の性格が百閒とうり二つに見えたのは、この記述を思い出したからだ。
だがそのあとの展開が違っていた。百閒は国府津駅でしばらく次の列車を待ったのに対して、落合の場合はなぜかいったん閉まったはずの扉が再び開き、悠々と乗り込むことができたのだ。
『嫌われた監督』は全体が緊密なストーリーになっているが、東京駅の場面はそこから外れている。だからこそ強く印象に残るのだ。ただ時刻表を調べてみると、東京18時51分発「のぞみ59号」は現在のダイヤであり、一一年八月当時、この列車に最も近かったのは18時50分発「のぞみ63号」だ。小さな瑕疵(かし)ながら指摘しておきたい。
■渡辺京二さんとの出会い
大学を出てから一年ほど、東京・永田町の国立国会図書館で働いたことがある。納入される地方出版や自費出版の本の奥付を見ながら書誌情報をカードに書き込む作業をしていたとき、一冊の本にめぐりあった。
タイトルは『なぜいま人類史か』。出版元は福岡市の葦書房で、著者は渡辺京二とある。熊本在住で、福岡の予備校で教えながら近代日本思想史に関する本をいくつも出されていた。「あとがき」の文章にひかれ、いつかお会いしてみたいと思った。
大学院の博士課程に属していた一九九一(平成三)年六月、念願がかなった。岩波書店の月刊誌に連載していたコラムで、渡辺さんを取り上げることになったのだ。
朝、熊本駅前から市電に乗り、終点でさらにバスに乗り換えた。市の中心部からかなり離れた郊外の住宅地に、渡辺さんの家はあった。
当時、渡辺さんはまだ還暦を過ぎたばかりで若々しかった。ひとしきり話したあと、「あなたに会わせたい人がいるから、一緒に行かないか」と誘われ、真宗寺という寺に向かった。渡辺さんは、この寺を教室にして私塾も開いていた。『なぜいま人類史か』にも、私塾での講義の一部が収められていた。