前出の高橋とヤクルトでチームメイトだったのが、192センチの宮出隆自だ。
宇和島東時代は140キロ台の速球とフォークが武器の本格派ながら、高校通算34本塁打の強打者でもあった。
95年にドラフト2位でヤクルト入り。2000年に3勝するなど、実働4年で通算6勝を挙げたが、膝の半月板を痛めたのを機に、02年から打者に転向した。
選手として最も輝いたのは、古田敦也監督時代の06年。不調のときでも、「野球の神様は必ずいるはず」と家にバットを持ち帰って素振りを続け、6月9日のソフトバンク戦で9回に決勝弾。“宮出デー”と銘打って、入場者にグッズをプレゼントした8月30日の横浜戦でも、バックスクリーン左に125メートルの特大弾を放ち、勝利のヒーローになった。
同年は初めて規定打席に達し、キャリアハイの打率.275、9本塁打、59打点を記録。09年に楽天移籍も、2年後にヤクルトに復帰し、現役引退翌年の13年からヤクルトのコーチを務めている。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。