194センチ、100キロの立派な体から本塁打を連発し、“デカ”の愛称で親しまれたのが、高橋智だ。

 194センチは、一昨年巨人に入団した200センチの秋広優人に更新されるまで日本人野手最長身だった。

 84年に投手としてドラフト4位で阪急に入団した高橋は、2軍戦でたまたま代打を使いはたしたときに急きょ打席に立ち、特大本塁打を打ったことがきっかけで、2年目の秋に外野手に転向した。「お前は1度(投手として)死んだ人間なんだから、人の何万倍も努力せなあかん」という水谷実雄コーチから特訓を受け、翌87年にウエスタン新の21本塁打を記録(当時)。同年9月1日の西武戦で1軍デビューを飾ると、いきなり工藤公康からプロ1号を放った。

 だが、当時のチームは外野陣が充実し、その後はなかなか出場機会を得られなかった。

 大きなチャンスがめぐってきたのは、オリックス時代の91年。土井正三監督は、ダイエーに移籍した門田博光の後釜として高橋を積極的に起用した。

 同年は23本塁打、67打点と一気にブレイクし、翌92年も人気ミュージシャン、MCハマーに似た髪形とピアスを着けた“和製外国人選手”のバットが猛威を振るう。

 5月27日の日本ハム戦、5回に松浦宏明の外寄り直球を右翼席に流し打った高橋は、8回には松浦のフォークを左翼席2階まで飛ばす特大弾。さらに9回にも島崎毅から3打席連続となる8号3ランを放ち、6打点を挙げた。

「明日は三振ですよ」と冗談めかした高橋だったが、翌28日の日本ハム戦でも二塁打、29日のダイエー戦では2対1の9回に貴重な左越えソロを放つなど、6月6日の日本ハム戦までパ・リーグタイの8試合連続長打を達成。同年は打率.297、29本塁打、78打点とキャリアハイの成績を残した。

 しかし、その後は相次ぐ故障や94年に就任した仰木彬監督の起用法への不満などから出番が減り、99年に自らのトレード希望もあり、ヤクルトへ。

 移籍後も99年に16本塁打、00年に13本塁打と、勝負どころでの一発長打でチームに貢献した。

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