マイケル・イグナティエフ氏がつづった『火と灰 アマチュア政治家の成功と失敗』(添谷育志・金田耕一訳)に詳しい。イグナティエフ氏は米国ハーバード大学教授だった際、故郷カナダの野党・自由党から担ぎ出され、党首となる。党首として臨んだ2011年5月のカナダの下院総選挙。ハーパー首相が率いる与党・保守党が、単独過半数を獲得する一方、自由党は議席を半分に減らした。保守党がイグナティエフ氏について「英米暮らしが長く、カナダのことを知らない」と狙い撃ちしたことが影響したとされる。その後、ハーバード大に戻ったイグナティエフ氏が「分析的回顧録」として記した本が『火と灰』だった。
同書でイグナティエフ氏いわく、「良き政治家は、解説書では学ぶことができないような国に関する知識を身につけるようになる」「ほとんどの形態の政治的専門知識は、地元に根差した知識ほどには重要ではない。地元に根差した知識とは地元に根差した政治的伝承の詳細な政治的知識、つまり具体的には、地位のある人や権力ブローカー、市長、高校のコーチ、警察署長、大企業の雇用主の名前のことであり、演台ではつねに彼らの名を挙げなければならない。偉大な政治家はローカルなものに精通していなければならない」「政治は身体的なものであり続けなければならない。なぜなら信頼とは身体的なものだからである」。
このイグナティエフ氏の「ローカル論」を読んだ時、立憲民主党スタッフの言葉を思い出した。「野党の政治家は、個別のことより全体を語ろうとする。個別論を語ると、自民党の政治家に負けちゃうから。だって、地方議員も含めて、自民党議員は、その土地のチャンピオンだから、個別論では勝てっこない。だから、野党議員は頭でっかちに見えちゃう」。
イグナティエフ氏は、政治家個人の人間としての魅力についても論じた。ビル・クリントン元米大統領の「ひとたらし」の思い出について、2002年に、クリントン氏を、ダボス会議の部屋に案内した時のこと。「私は名前、たんに名前だけではなく、家族の物語全体を覚える彼の能力に驚嘆した。その間も彼は握手をしたり、屈んでキスをしたり、誰かを見詰め返したり、動き回ったりした」と記した。
クリントン氏のような「ひとたらし」の魅力は、国会議員であれ、地方議員であれ、日本の自民党議員は、一定程度は共通して持っている。一方、こうした「ひとたらし」について「癒着」などと毛嫌いし、理屈に走る野党政治家は少なくないが、野党の中でも選挙に強い人は、地元の自民党議員すら困惑させる立憲民主党の安住淳氏のように「ひとたらし」の力を持っている。このことも、また、事実である。