芸歴32年、いま、お茶の間の記憶に残る男として、TV出演急増中の芸人・チャンス大城(本名:大城文章)さん。そんなチャンス大城さんが自らの半生を赤裸々に語り下した『僕の心臓は右にある』から、バラエティでも時々話題にする高校時代に山に埋められたエピソードを、本文から抜粋、編集して紹介します。
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定時制高校時代のことで、どうしても語っておかなくてはならないことがあります。それは本当にえげつない事件でしたが、尼崎という町のリアルな一面を象徴する話でもあるのです。
あれは、高校3年のことでした。
事件の発端は、ブラジャーのホックの外し方を僕のおとんから一緒に教わったサイトウが、力仕事のバイトを一緒にしていたMという同級生を、僕とワダの前に連れてきたことにありました。
M自身はそんなに怖いやつではありませんでしたが、Mのバックにいたグループがとてつもなく怖い人たちの集団だったのです。
やがて僕は、サイトウとMと一緒に力仕事のバイトに行くようになったのですが、僕たちが稼いだ日当でMのバックにいる先輩たちが朝まで遊びまくるのです。どういうことかというと、僕らを連れて飲みに行ったり、カラオケに行ったりして、その代金を全部僕らに払わせるのです。
昼間働いた日当は、最終的にすべて巻き上げられてしまいました。そして、朝六時にはまた力仕事に出かけなくてはならないという、あまりにも過酷な日々を僕らは送るハメになってしまったのでした。
そのとんでもなく凶悪なグループの親玉は、やはりとんでもなく凶悪な人でした。一応高校生でしたけれど、ゾッとするような冷たい目付きをして、チリチリのパンチパーマをかけていました。その人は、公園でカップルにナイフを突きつけてお財布を奪う、いわゆる「カップル狩り」をやっていて、当時、すでに逮捕状が出ているという噂でした。
僕は連日のようにその親玉から暴力を振るわれて、逮捕状の噂も聞いていたので、さすがにヤバイと思ってなるべく関わらないようにしていました。