両エースが2日間にわたって死力を尽くして投げ合った最後に、田中が打者、斎藤が投手として対決するのは、運命的にも思えるめぐり合わせだった。
一発が出れば同点という場面で、田中は2ストライクと追い込まれながら、ファウルで粘ったが、7球目の144キロ外角直球を空振り三振し、ゲームセット。
一瞬天を仰ぐような動作をした田中だったが、すぐに気持ちを切り替えると、マウンドで歓喜のガッツポーズを見せる斎藤に柔和な視線を投げかけた。
そして、少し照れたような表情でネクストサークルの鷲谷修也に「(回すことができず)ごめん」と謝ると、さわやかな笑顔をのぞかせてベンチに戻った。
泣かなかった理由について、田中は「思い残すことはないし、精一杯やったので。野球で泣いたことはないので、特別な感情はありませんでした」と語っている。
優勝の大本命といわれたセンバツを不祥事で辞退に追い込まれたあと、田中は言い知れようのない悔しさと数々の苦難を乗り越えて、夏の甲子園にやって来た。甲子園入り後は、体調不良に悩まされながらも、気力を振り絞って、最後までマウンドを死守した。
夏3連覇は達成できなかったものの、すべての力を出し切り、完全燃焼した田中に、「負けて泣く」選択肢はなかったのである。
東北高時代のダルビッシュ有も、2年生だった03年夏は、決勝で常総学院に敗れると、「3年生と応援団のみんなのために負けたくなかった」と涙が止まらなかったが、翌04年の最後の夏は、笑顔で甲子園をあとにしている。
3回戦の千葉経大付戦は、9回2死まで1対0とリードし、初戦から3試合連続完封目前だったが、三塁手の一塁悪送球で同点に追いつかれ、延長10回に2点を勝ち越された。
その裏、2死無走者で打席に立ったダルビッシュは見逃し三振に倒れ、しばし呆然と立ち尽くした。
この瞬間、「みちのくに初の大旗を」の夢も消えたが、敗戦直後のダルビッシュは笑みを浮かべているようにも見えた。