甲子園で健闘及ばず敗れた球児たちが試合後に泣きじゃくる姿は、夏の風物詩とも言える。勝者もまた然り。2006年の決勝戦では、早稲田実のエース・斎藤佑樹が優勝を決めた直後、感激の涙を流すシーンが見られた。その一方で、試合に負けても泣かなかったのちのプロ野球選手もいる。
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泣かなかった選手で、まず思い出されるのが、92年の星稜・松井秀喜だ。
同年、「北陸に初の優勝旗を」の悲願を胸に甲子園に乗り込んできた星稜ナインだったが、2回戦で対戦した明徳義塾は、4番・松井との勝負を徹底回避し、5打席連続で敬遠した。
この結果、松井は1度もバットを振ることなく、2対3で敗れ、不完全燃焼の形で最後の夏が終わった。
だが、試合後、「泣かない」と決めていた松井は、明徳義塾の校歌が流れているときも、応援席に挨拶したときにも涙を見せることはなかった。
報道陣の取材も、「勝負してほしかった?」の問いにかろうじて頷いた以外は、「わかりません」「覚えてません」を繰り返すだけだった。
そんな教え子の姿を目の当たりにした星稜・山下智茂監督は「(悔しい気持ちを)表に出さないから、余計可哀相です」とその心中を思いやった。
インタビューの最中も涙ひとつ見せなかった松井だが、帰りのバスに乗り込み、チームメイトだけになると、誰にもわからないように下を向いて頬を流れる涙をそっと拭ったという。
この体験以来、心のどこかで「さすがは5打席連続敬遠されて然るべきバッターだ」と野球ファンから思われるような大打者にならなくてはいけないという使命感のようなものを抱きつづけた松井は、のちの野球人生で大きく飛躍することになった。
泣かなかった球児といえば、駒大苫小牧時代の田中将大もその一人だ。
73年ぶりの夏3連覇がかかった06年決勝、早稲田実戦は、延長15回の末1対1の引き分け。翌日の再試合、3点をリードされた駒大苫小牧は、9回に中沢竜也の2ランで1点差に追い上げるが、早稲田実のエース・斎藤も気力で4番・本間篤史を三振、5番・岡川直樹を二飛に打ち取り、勝利まであと1人。ここで打席に立ったのが、田中だった。