写真はイメージ(iStock)
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「旧制一中」とは、明治時代、全国の都道府県庁所在地などにいちばん最初に作られた旧制中学校、現在の新制高校である。これらは歴史と伝統があるので地域の優秀な生徒が集まり、新制高校に引き継がれてからは、東京大や京都大に多く合格者を出す進学校として、全国的にも知られている。「旧制一中」はスポーツも強かった。水球、ハンドボール、剣道、テニス、体操、サッカー、なぎなたなどで日本一になっている。いくつか紹介しよう(本稿は『「旧制第一中学」の面目』(NHK出版)の一部を再構成した。以下、旧制一中を「一中」と表記)。

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 1950~60年代、一中のなかでスポーツでの全国制覇を次々と成し遂げていたのが本県立済々黌(せいせいこう)高校である。まず水球が敵なしだった。1951年、53年、60年、61年、67年に優勝し、1974年までに準優勝9回、三位が4回、四位が4回という圧倒的な強さを示した。オリンピック1960年ローマ大会では水球選手として済々黌出身の日本大OBの宮村元信氏、日本大生の藤本重信氏、柴田徹氏が選ばれている。

 こればかりではない。1952年団体体操(現・新体操)で優勝、54年にハンドボール男子が国体優勝、55年陸上競技で総合優勝、58年野球部が選抜大会優勝など、高校日本一の名をほしいままにした。団体体操の優勝メンバーはこう振り返っている。

「当時は体育館など全くなく、練習はすべてグラウンドか、校舎から校舎への釘のでている渡り廊下。真夏は焼けている土の上で倒立をしたり、バランスや転回をしたり、立っているだけで足の裏が熱くて立っていられない。〔略〕舗装道路で後方宙返り等を何十回とやらされた記憶がなまなまと今でものこっている。とても現在では考えられないことである。指導者も指導者なら、やっていた我々も我々だった。一言の不平不満もなく、しかも恐ろしいとか、怖いとかいうこと等全くなかった。これは日頃の練習の成果のなにものでもなかったと思っている。本当にあの当時は命がけでやっていたと思う」(『濟々黌百年史』1982年)

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「命がけ」の練習