1952年の優勝メンバーは札幌南育ちである。学校新聞にこう話している。

「優勝しようとは夢にも思いませんでした。せいぜい準決勝までと思っていましたのに……。四日間の試合でしたがビタミンBをうって頑張り続けました。北海道は体力的にも技術的にもはるかに他チームをしのぎ、最後まで札幌東とぶつからなかったのは幸運でした」(南高校新聞1952年9月2日)

 やはり、札幌東の存在は脅威だったのだろう。

 1950年、愛媛県立松山東高校が野球、ボート女子で優勝している。学校史(『愛媛県立松山東高等学校百年史』1978年)に野球は日本一までの足跡が記されているものの、ボートについての記述は一切ない。だがボートは今日まで強さを誇る。1960年、国体のナックルフォア女子で、2013年には高校女子ダブルスカル、2021年には高校選抜大会で男子がシングルスカルで優勝している。松山東OGの敷村良子さんが同校ボート部の女子を描いた小説『がんばっていきまっしょい』が1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した。映画、テレビドラマになっており、松山東ボート部の知名度は高い。

 1966年、静岡県立静岡高校がテニスで全国制覇を果たした。1949年以降18年連続でインターハイに出場し、準優勝1回、3位4回を数えるほどの強豪だった。テニス部主将は次のように振り返る。

「思えば入学以来毎日の生活はテニス一色であった。コートも焼ける真夏のあの日、富士が嶺おろし吹く真冬のあの日、いくら思い出をたどってみても出てくるものはすべてテニスと結びついてしまう僕達。それを不幸だと嘆いた日もあった。できることならもう二度とラケットなど持つまいと思った日もあった。しかし次の日コートに立てば又新たなファイトを胸に白球を追っているのだ。〔略〕僕達には誰にも負けない大きな自信がある。それは単にテニスの技術ではなく、その練習でつちかわれた強い意志の力と健全な身体、それに礼儀とか節度とか言われるもの。これらは近い将来必ず大きな僕達の支柱となり得るだろう」(『静中静高百年史』1978年)

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「大きな目標の前に歯を食いしばれ」