痛めた肩の影響もあり満身創痍に近い状態、試合出場もDHに限られた。練習ではフルメニューをこなせず、ティー打撃を行うだけで試合に臨むことも多い。試合に出るために十分な準備をすると影響が出る。現状に大きなストレスを感じつつ、最善を模索し結果を残せるよう努力する日々だ。

「来年以降も選手を約束された立場なら、プレーせず治療に専念しているかもしれない。でもそういう立場ではない。理想と現実を冷静に見定め、自分にできることを取捨選択しています。試合に出るならベストを尽くせるための準備をする。コーチという肩書きもあるので、そちらでやるべきこともあります」


●~高校、大学へは一般受験で入学して野球をやってきた。

 愛知・中京大中京高では1年から試合に出場し、高校通算29本塁打。慶応大でも1年春からリーグ戦出場、2年秋からは主軸を任される。3年の時には第5回世界大学野球選手権に出場、全試合で日本代表の4番を打った。4年では主将としてチームを牽引し、同年秋のドラフト1位で阪神から指名される。

「世間的に知られてないですが、高校は推薦や特待でなく一般入試。大学も受験で入学しました。野球エリートと言われますが違います。自分で言うのも何ですが、コツコツやった目の前にプロ野球があった。野球で飯を食っていけるとは思ってなく、大学で野球は終わるんだろうなと思っていました」

「阪神にドラフト1位で指名され、同時にエリート選手と見られました。プレッシャーというか、過剰に意識していた部分があった。エリートの名前に負けないようにと思っていました。あれだけ多くの人たちに注目されながら野球をやることはなかった。プロの最初からシンドさを感じました」


●~勝手に期待され、チヤホヤされ、何かを言われる日々だった。

 絵に描いたような「野球エリート」に見えるが、本人は全否定する。アマチュア時代も各カテゴリーで飛び抜けた選手ではなく、常に競争に打ち勝ってきた。目先のことに必死で取り組んだ結果がプロ入りにつながった。しかし超人気球団からのドラフト1位指名だったことが、皮肉にも運命を左右してしまう。

次のページ
「阪神でなかったら?」と考える時はある