「燃える闘魂」で知られる、元プロレスラーで参院議員を2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが10月1日、東京都内の自宅で死去した。79歳だった。
【写真】国会で質問するときも独特のたたずまいのアントニオ猪木さん
「ただ絶句するばかりです。みんなに勇気を与えていただき、本当にありがとうございましたとお礼を言いたいです」
沈痛な表情でそう語るのは、猪木さんが政界進出を最初に果たした「スポーツ平和党」の元参院議員で野球解説者の江本孟紀さん。
猪木さんは、日本にプロレスの礎を築いた力道山さんに見いだされ、プロレスラーとしてデビュー。ジャイアント馬場さんとしのぎを削り、日本にプロレスを根付かせた。
プロレスだけではなく、異種格闘技戦にも乗り出し、ボクシングのヘビー級世界チャンピオン、モハメド・アリさんとの死闘は、全世界でテレビ中継され、今も語り草になっている。
リングで数々の死闘を演じてきた猪木さん。1989年にスポーツ平和党を立ち上げ、その年の参院選に「国会に卍(まんじ)固め」というスローガンで立候補。予想を覆して100万票近い得票で当選し、戦いの場をリングから政界に移した。
なかでも猪木さんの「現場主義」「燃える闘魂」が存分に発揮されたのは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻で、アメリカなどの多国籍軍が参戦した湾岸戦争だった。
当時、イラクの在留邦人は、「人質」のような形で出国が認めらず、日本では連日のように大きなニュースになった。
だが、日本政府は具体的な行動には移せず、批判が高まった。猪木さんは、自らが設立した新日本プロレスのレスラーを引き連れて、イラクのバグダッドに乗り込んだ。そこで開催された「平和の祭典」でリングを組み、プロレスの試合を披露した。その場には、在留邦人の「人質」も観戦にやってきた。
それまでかたくなだったイラク。それから間もなく、猪木さんのアッと驚く「プロレス外交」という行動力が評価されたのか、イラクは「人質」の出国を認めたのだ。