筆者の印象に強く残っているのは1987年の巌流島(山口県下関市)の戦いだ。無観客でレフリーもおらず、リングもない草っぱらで、猪木さんはマサ斎藤さんと戦った。夕方くらいから始まり、暗くなってからはかがり火をたいて戦った。
この戦いについて猪木さんに聞いたところ、
「あれは、確か藤波(辰爾・新日本プロレスの看板レスラー)が誰かにそんなアイデアを話していたのが聞こえてきた。面白いとひらめいた。藤波がやりたそうだったが、ビビっときて、俺がやったほうがいいと。巌流島には船でしか行けなかったはずで、興行としてはどうかという人もいた。プロレスの関係者とマスコミだけでやったほうが神秘的というか、それもいいなとひらめいた」
と教えてくれた。
猪木さんには、スキャンダルのことも聞いたが、どんな時も嫌な顔をせず、逃げることもなく質問に答えてくれた。
2013年、参院選で2度目の当選。だが、19年の任期満了で政治家を引退した。
話を聞きにうかがったときは、昔の猪木さんのような迫力がなく小さく見え、車いすに乗っていることが増えた。
「俺も年かな」
寂しげに笑っていたので、
「猪木さんの元気さ、はつらつさが今の政治には必要なんですよ」
と伝えると、
「そう、元気を出さないとな」
とガッチリ握手してくれた。それが猪木さんにお会いした最後だった。
近年は心臓の難病「全身性アミロイドーシス」を患い、入退院を繰り返していた。猪木さんの親族の一人は、
「体調が悪くても、自ら元気な姿を届けたいとYouTubeまではじめて、『元気ですか』『ダー!』と病室や自宅でもやっていました。ただ、最近はその元気もなくなっていました」
と話した。
最後まで「燃える闘魂」の猪木さん。お疲れ様でした。合掌。
(AERA dot.編集部・今西憲之)