参院PKO特別委で質問するアントニオ猪木議員=1992年
参院PKO特別委で質問するアントニオ猪木議員=1992年

 多国籍軍がイラクに攻撃をはじめたのはそれから1カ月ほどしてから。まさに、ギリギリのタイミングだった。

 筆者は30年以上も前だが、プロレスの専門誌でアルバイトをしていた。当時は猪木さんが全盛期で、興行について歩いたこともあった。猪木さんが参院議員となったとき、筆者は週刊朝日の記者となっていた。

 議員会館に猪木さんをいきなり訪ねると、

「ええ? ここでプロレスのことかい」

 とビックリしていたのを思い出す。日を改めて、イラクの「人質救出」について聞くと、

「プロレスじゃなくそんな取材もするんだ? 当時は、日本で早く人質を助けろと世論が沸き上がっても、政府は何ら具体的な行動はしない。それなら、オレが行くしかないだろう。なぜ、人質の救出ができたか? そんなの簡単だ。燃える闘魂。これで十分だろう」

 と笑っていた。

 細かなことは説明せず、深刻そうな話でも、人懐っこい笑顔とワンフレーズで決めるのは、さすが猪木さんだった。

 だが、政治の世界でも順風満帆とはいかなかった。借金問題など、何度もスキャンダルに見舞われた。

「猪木さんが当選した3年後の参院選で、私がスポーツ平和党から出馬して議員バッジをつけたくらいから、スキャンダルの話がちょいちょいありました。借金問題はとりわけ深刻だったようです。猪木さんの事務所には怖そうな借金取りが来ていたとも聞きました」

 前出の江本さんはそう話した上で、

「そんな話を聞いた翌日です。朝早く議員会館に行く途中、もくもくと走っている人がいる。猪木さんでした。借金問題が騒がれていたので、『大丈夫ですか』と聞いたら『小さなことだよ』と言いながら黙々とスクワットしていました。とにかく、人間が大きい人でした。だから、日本政府がビビッて何もできないのに、イラクに乗り込んだりできるんですよ」

 と振り返る。

 一度、政界から身を引いた猪木さんは、プロレスの世界へと戻った。モハメド・アリ戦に代表されるように、猪木さんは抜群のアイデアでプロレス界を盛り上げた。

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