ヤクルトで優勝を経験した5監督はどのような野球を展開していたのだろうか。広岡達朗監督は「管理野球」、野村監督は「ID野球」、若松勉監督は「気配り野球」、真中満監督は「求心力野球」、高津監督は「育成野球」と表現していいだろう。広岡監督は食事や休日のゴルフなども管理した。野村監督は合理的な「考える野球」を推進した。若松監督は考える野球はもちろん、もう少し体を動かして原点回帰しようというスローガンだった。真中監督は、現役時代から明るく前向きな性格で求心力があり、前年度最下位から監督に就任していきなり優勝をつかんだ。「できない理由を探すな!」という著書もある。
ヤクルト優勝の共通項は、「左の助っ人強打者」と「強力ストッパー」の存在だ。1978年のマニエル、92年、93年のハウエル、95年のオマリー、97年のホージー、2001年のペタジーニだ。15年は右の強打者・バレンティンが故障したが、山田哲人がトリプルスリー、川端慎吾が首位打者、畠山和洋が打点王と、タイトルを独占して打ち勝った。そして21年、22年は「助っ人」ではなく、真の日本人4番打者「村神様」が誕生したのだ。
投手陣に目を向けてみると、1978年は広岡監督が井原慎一朗を抑え役に指名、58試合で10勝、4セーブを挙げている。野村監督時代から若松監督時代にかけて、高津が93年、95年、2001年と守護神となった。15年はバーネットが41セーブを挙げた。21年、22年はマクガフがストッパーだ。神宮球場は広くないので本塁打が出やすい。ヤクルトは打線優位のチームカラーのため、抑え役がしっかり結果を残したシーズンはチーム成績もいいという相関関係にある。
他監督と比較して高津監督の大きな特徴は「育成」の色彩が濃いことだろう。野村監督は1998年にイースタン本塁打王の岩村明憲を1軍で1試合しか起用しなかった。「ファームは育成、1軍は即戦力」との意識が強く、むしろ「再生工場」であった。高津監督は2年目の内山壮真、3年目の長岡秀樹を今季1軍で積極的に起用した。双方、捕手と遊撃手という難しいポジションであるが、「育てながら勝つ」意識が強いのだろう。
「優勝は難しい。連覇はもっと難しい」と高津監督は話した。1992年、93年の野村監督以来となる29年ぶりのリーグ連覇は果たした。「日本一連覇」ならセ・リーグでは79年、80年の広島以来、42年ぶりの快挙である。(新條雅紀)