1964年、石川県小松市生まれの戸澤さん。高校時代、写真部に入ると部室には「アサヒカメラ」が並んでいた。口絵には須田一政や土田ヒロミの作品が掲載されていた。
「あちこち旅して、好きな写真を撮って、それがなりわいとして成り立っているのだから、面白い商売だな、と思った。そんな写真家が教えていたのが、日吉(横浜市)の東京綜合写真専門学校だった。『これだ!』とか言って、間違って入っちゃった(笑)」
初めての撮影の授業のことは忘れられない。それは天皇誕生日(当時は4月29日)、皇居前広場で行われた。
「現地に集合すると、先生にカメラのレンズを最短撮影距離(約50センチ)の位置でテープでぐるぐる巻きにされて、『これで一番迫力ある写真撮ってきたやつが、今日の一番の勝ちだ。行け!』とか言われた。『ばんざーい』とやっている右翼をこわごわとノーファインダーで撮ったり、『すみません、撮らせてください』と言ったら『ばかやろう』と怒鳴られて、殴られる学生が続出した。それで『うわっ、こえー。とんでもない学校に入っちゃったよ』と」
■撮ることはぼくの使命
街中での撮影でもトラブルは日常茶飯事だった。
「被写体とのトラブルがないやつはだめだ、踏み込みが足りない」と言われた時代だった。
「若い兄ちゃんに『何、撮ってんだよ、フィルムを出せ』と、すごまれた。こっちも粋がって『これは俺の貴重な作品だ。別にどこにも発表しないからいいだろ』『だめだ、お前なんか信用できない』とか。よくやりましたよ」
ところが最近、トラブルはめっきり減ったという。
「年の功じゃないけれど、相手の目の前で堂々と撮っていても、『なんか変なおじさんが撮っているけど、まあいいや』みたいな感じで無視されるというか、理解を示してくれるようになった。『撮るな』と抗議されたら、『ごめんなさい』と、謝りますよ」
60歳近くになり、大人になったということなのか。もちろん、撮ることをやめるつもりはない。
「スナップ写真を撮影して文句を言われるのは仕方ない。時代の記録として、撮ることはぼくの使命だと思っています」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】戸澤裕司写真展「DESTINY」
アイデムフォトギャラリー「シリウス」(東京・新宿御苑) 10月6日~10月12日