だが、江藤が「在京セ」を希望したことから、横浜と巨人の2球団に絞られ、最終的に「長嶋茂雄監督の背番号33を譲る」という破格の条件を出した巨人が獲得に成功。野村監督は「真面目に交渉したのにバカバカしくて……。もう、(初めから)どこかとできてたんだろうね。話をして、目が死んでると思ったもの」とボヤきにボヤいた。

 これも清原同様、他球団志望の選手に“いっちょかみ”した結果と言えなくもない。

 星野仙一監督時代の02年オフには、メジャー移籍を最優先にFA宣言した近鉄の主砲・中村紀洋獲りに参戦した。

 国内では、ヤンキース入りした松井秀喜の後釜探しを急務とする巨人との争奪戦になったが、巨人は前ヤクルトのペタジーニを獲得すると、「土下座してまで来てもらわなくていい」(渡辺恒雄オーナー)と掌を返し、交渉決裂。この時点で中村は「国内なら阪神」と決めていたという。

 ところが、12月にメッツが公式HPで中村と契約合意したことを発表すると、中村は「近鉄、阪神にお断りを入れるまで公表しない」の約束を破ったとして、不信感を抱く。

 その後、中村はメッツとの契約を白紙に戻すと、阪神にも断りを入れ、最終的に近鉄に残留した。交渉が長引き、「各球団を弄んでいる」と報道されはじめたことから、「これ以上延ばすわけにいかない」と元の鞘に収まる道を選んだといわれる。

 阪神は07年オフにも、FA宣言した中日・福留孝介が“本命”米球団との交渉に入る前に4年総額20億円を提示しているが、中村のとき以上に「あわよくば」的な参戦であり、やはりと言うべきか、“いっちょかみ”で終わっている。

 FA選手に片っ端から声をかけ、ことごとくフラれてしまったのが、14年オフだ。

 FA権を持つ中日・山井大介、日本ハム・宮西尚生の獲得を目指したが、いずれも残留を表明したため、断念。5人目の先発として獲得に動いたロッテ・成瀬善久も、「(出身地)関東の球団」を希望してヤクルト入りといった具合に、思うように補強が進まない。

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