ここ数年、激化の一途をたどる首都圏の中学受験。受験生の親による塾選びも熱を帯びているが、関西の中学受験塾「馬渕教室」を大躍進させた吉田努氏が、東京で「ベネッセ難関中学受験塾」を始動させたことが話題となっている。今年8月、AERA dot.が「東京進出した『ベネッセ難関中学受験塾』の勝算」として吉田氏のインタビュー記事を配信したところ、大きな反響を呼んだ。いまだ全貌が見えない「ベネッセ中学受験塾」はどんな戦略を描いているのか、吉田氏は東京で何を仕掛けようとしているのか。どこにも明かされてない「内情」を短期連載として配信する。1回目は、吉田氏が関西中学受験界で起こした“改革手法”をひも解く。
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吉田氏が関西の進学塾「馬渕教室」の講師になったのは、2000年のこと。高校受験に強い馬渕教室が中学受験にも本格的に参入するタイミングで、複数の教室を飛び回り講義をするかたわら、深夜まで模試を作成する日々が続いた。
当時は、金髪にカラースーツといういでたち。予備校講師の「金ピカ先生」が人気となる時代で、派手な講師も珍しくなかったが、ネットの書き込みで「あの塾にはホストがいる」などとうわさされたこともあったという。
だが吉田氏の授業にかける情熱は塾生を魅了し、一気に人気講師への階段を駆け上がる。04年頃から大阪や奈良の主要校舎の責任者を任され、「何をすれば生徒が伸びて親の期待に応えられるか」「他塾に負けないためにはどこを強化すべきか」などが感覚的にわかってきたという。そうして、08年に中学受験部門のトップに上り詰めた頃には、塾として掲げるべき理念や必要な改革が明確になっていた。
吉田氏はその経営手腕を発揮し、短期間で馬渕教室を関西圏中学受験塾トップ2へと大躍進させた。その手法はどのようなものだったのか。
「単純な話ですが、合格実績を上げるには生徒数を増やすことが最も大切です。そのために、まず、塾講師の意識改革から始めました」(吉田氏、以下同)