当時、関西では浜学園を筆頭に希学園、日能研関西が“三強”として並び立っていた。その一角を崩すには、“成績さえ上げればいい”という講師の考え方を改めさせ、保護者の信頼を得るべく「サービス」を徹底すべきだと考えた。吉田氏を中心に、講師一人一人が塾生の保護者に丁寧なカウンセリングを行い、不安に耳を傾け、ともに中学受験に挑む姿勢を示した。 

 新校舎展開にあたっては、綿密な分析を行った。社会科講師の吉田氏は統計が得意だったこともあり、人口動態や世帯年収率などを地域ごとに細かく調べ上げた。その上で自身の足で現地を歩き、実施調査を重ね、教育への関心が高いエリアを見極めた。

 そうして狙った場所に毎年新校舎をオープンさせ、当初10数校だった校舎数を増やしていった。入塾説明会では、吉田氏自身が塾の理念やシステムをじっくりと説明し、説明会後には個別相談会を開き、保護者に塾を理解してもらうよう努めた。

 こうして馬渕教室の規模を拡大していくなか、吉田氏の評価を確かなものにしたのが、難関校への合格実績だ。ここでも実践したのは、講師の意識改革だった。

「塾の知名度を上げる最も効果的な方法は、難関校の合格実績です。関西の最難関は、言わずと知れた兵庫県の灘中学です。灘中への合格実績を増やすには、まず講師の質を大きく上げる必要がありました。そこで年に数回、講師にも“テスト”を行うことにしました。灘中入試問題レベルのテストを全講師に受けさせ、得点を数値化。塾生や保護者の講師評価アンケートも参考に、安定して上位層にいる講師だけが『灘中プロジェクト』のメンバーとして認められるという仕組みをつくりました」

 その効果はてきめんだった。灘中の入試に精通したトップクラスの講師をそろえ、丁寧な指導で塾生を引っ張っていく馬渕方式は、灘中合格者数を順調に伸ばし、18年には希学園、日能研関西を抜き、独走中の浜学園に迫るまでになった。

 灘中だけなく、他の難関校の合格実績も上げていった背景には、もうひとつの戦略があった。

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4教科均等型入試の難関校に照準