レギュラーシーズンが終了した今なお激論が続いているア・リーグのMVP争い。言わずと知れた唯一無二の二刀流プレーヤーである大谷翔平(エンゼルス)と、ア・リーグ最多本塁打記録を61年ぶりに更新したアーロン・ジャッジ(ヤンキース)のどちらがMVPの栄誉にふさわしいのか。
長いMLBの歴史では記者投票で決まるMVPの選出結果が物議を醸したことも少なくない。今回はそうした事例をいくつか紹介しよう。
僅差の決着で有名なのは、1996年のア・リーグMVP争い。わずか3ポイント差でタイトルを獲得したのはフアン・ゴンザレス(レンジャーズ)で、次点に泣いたのがこの年に21歳になったばかりだったAロッドことアレックス・ロドリゲス(マリナーズ)だった。
この年のゴンザレスは打率3割1分4厘、47本塁打、144打点、OPS1.011の好成績をマークしたように活躍しなかったわけではない。ただしロドリゲスは打率3割5分8厘で首位打者を獲得し、36本塁打、123打点、15盗塁、215安打を放ち、リーグ最多の141得点を挙げていた。OPSもゴンザレスを上回る1.045だった。
さらにゴンザレスが守備面では凡庸な右翼手で、しかも102試合しか守備に就かなかったのに対し、ロドリゲスは負担の大きい遊撃手として145試合に先発出場した。結果として、総合的な貢献度を示すrWARはロドリゲスの9.4に対してゴンザレスは3.8の大差がついていた。
だがこの前年、ストライキの影響で開幕が遅れて短縮シーズンとなった1995年のア・リーグMVP争いはもっとしこりが残る結果となったことで知られる。最有力候補と見られていたのは、全144試合のシーズンだったにもかかわらず、史上初の50本塁打・50二塁打を達成し、本塁打と打点の二冠を獲得したアルバート・ベル(インディアンス=現ガーディアンズ)。ベルはさらにリーグ最多タイの121得点を挙げ、長打率6割9分もリーグトップだった。