1986年2月にターニングポイントがやってきた。当時スコウは、特に定職に就いていたわけではなかったが、精子バンクを設立すべく、奔走していた。「400ページものビジネスプランを立て、ある日ビーチを歩いているとき、プランを実現するためにすぐ行動しようと決意しました」。ビジネスプランの前半は精子凍結の技術や生命倫理に関するもので、後半がビジネスに関するものだったという。当時デンマークに、「マーメイド・クリニック」という不妊治療を行う初の民間病院ができたが、民間という理由で公的機関から精子提供を受けるプログラムに加わることができなかった。29ある公立病院には精子提供されていたが、民間病院では提供されなかったのだ。
■1週間後に最初の妊娠、2週間後には5人の妊娠が成功した
当時のスコウにはドナー・プログラムを立ち上げる資金がなかったため、精子を凍結保存することだけに特化したビジネスを始めようと思った。放射線治療や化学療法を施されると精子形成ができなくなることが多いと考えられていて、その治療を受ける前に精子は凍結保存されることが多かった。スコウ自身も自分の精子で凍結保存する実験をしたものの、「精子の質があまりよくなかった」という。ここで言う質の良さとは、運動性、運動率が第一に挙げられる。方向性をもって生き生きと動いているのが良い精子だという。そのあとに選別されるのが、1ミリリットル当たりの精子の数だ。
スコウは、マーメイド・クリニックが公的な精子提供プログラムに参加することができないと知り、すぐにこのクリニックを訪れ、精子の凍結保存ビジネスを自分が始めたことを伝えると、幸運にもその場で10万ユーロ(2019年当時のレートで約1200万円)の資金を得ることができた。公的な精子提供プログラムに参加できなかったマーメイド・クリニックは、すぐにでも提供精子を必要としていたので、スコウの精子提供ビジネスに飛びついたのである。