アリゾナ記念館。沈没した艦の砲塔台座が海面から突き出ている(撮影:尾辻弥寿雄)
アリゾナ記念館。沈没した艦の砲塔台座が海面から突き出ている(撮影:尾辻弥寿雄)

■折り鶴とトルーマンの孫

 真珠湾攻撃は米国政府への最後通告前に行われた。日本軍のだまし討ちだ――米国民は「リメンバー・パールハーバー」と、復讐心を燃え上がらせた。

「ところが、その『リメンバー・パールハーバー』の場所に『ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ』の象徴である『禎子の折り鶴』が展示されていた」

 折り鶴の展示には原爆の投下を承認した元トルーマン大統領の孫が尽力した。

「平和を希求することが人間本来の姿ではないだろうか。戦後、70年以上がたつなかで、日米の国民の間の感情はどれだけ埋まったのだろう、と思いました」

 多くの日本人が「真珠湾」という言葉を知っている。「でも、そこがどんな場所なのかは、ほとんどの日本人は知らない」と、尾辻さんは話す。

「ワイキキビーチで泳いでいる若者に『真珠湾に行ってみれば』と、言うと『どこにあるんですか?』って。真珠湾がハワイにあることを知らない人が結構います。一方、年配者と話すと『引け目を感じるから行かない』と」

 尾辻さんもパールハーバーを訪れる前までは「戦艦アリゾナやミズーリの記念館があるくらいにしか思っていなかった。でも、あの地にはもっと深いものがあると感じました」。

アリゾナ記念館。80年たった今も海底の艦からオイルが漏れだす。「アリゾナの涙」と呼ばれている(撮影:尾辻弥寿雄)
アリゾナ記念館。80年たった今も海底の艦からオイルが漏れだす。「アリゾナの涙」と呼ばれている(撮影:尾辻弥寿雄)

■「アリゾナの涙」とは

 インタビューを終える際、筆者は尾辻さんから「アリゾナの涙」という言葉を教えられた。沈没した戦艦アリゾナからは今も燃料が流れ出し、それが海面に漂う光景をさす言葉だと言う。

 写真には、緑色の海に墨汁がにじんだようにオイルが浮かび、その周囲に虹色の油膜がゆらゆらと広がっている。その奥にはさび色のアリゾナの船体がうっすらと見える。

「『アリゾナの涙』を実際に写した人は意外と少ない。要するに、潮の満ち引きで出たり出なかったりするんです。最初はさんざん待ったけれど、出なくって。これを写したのは3度目のハワイかな。ぽこっと油が浮いてきて、水面で広がった。すごいなあ、と思いながら見ていました」

 そう、尾辻さんは言うと、「写真家って、変ですよねえ、そんなことを面白がって」と笑った。

「パールハーバーにはぼくの知らないことがたくさんあった。だから、ぜひ一度、行ってほしい。なんか、宣伝しているような感じなんですけれど」と言い、また笑った。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】尾辻弥寿雄写真展「Pearl Harbor 海の彼方の戦争遺跡」
アイデムフォトギャラリーシリウス 12月15日~12月21日

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