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「新高山(にいたかやま)登レ一二〇八」
この暗号電文を受信した日本海軍機動部隊は1941年12月8日、ハワイ・パールハーバー(真珠湾)を攻撃。太平洋戦争が始まった。
それから73年後の2014年。
「ねえ、ハワイでも行かない?」
尾辻弥寿雄さんのパールハーバー取材は、そんな妻のひと言から始まった。
「えっ、そんなチャラチャラしたところに行けるか、って言ったら、かみさんは、じゃあ私1人で行くって言うから、ちょっと待て、と。ハワイに行くのだったら、俺はパールハーバーを見てみたい、と」
■米国軍人の聖地
多くの観光客でにぎわうワイキキから車で1時間弱。尾辻さんはJTBの半日ツアーに参加してパールハーバーを訪れた。
尾辻さんは1945年、長崎市で生まれた。上京後、連合通信社写真部をへて、00年にフリーになった。
「幼いころはまだ、(原爆で被災した)浦上天主堂もがれきの中にあるような印象でした。だから、原爆が投下された太平洋戦争の始まりである真珠湾にはいつか行ってみたいと思っていました。でも、真珠湾を奇襲攻撃した国の人間だから、後ろめたさがあった。最初に訪れたときは本当に、意を決した、という感じだった。周囲の人に日本人だと気づかれれば何を言われるかわからない。そう思っていました」
ツアーバスを降りると「World WarII Valor In The Pacific National Monument(第2次世界大戦武勲記念史跡)」と書かれた大きな看板が目に入った。
「つまりここは、米国軍人にとって、聖地なわけですよ」
その中心である「USSアリゾナ記念館」は、日本軍の攻撃で沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた慰霊施設で、白い壁には今も艦とともに眠る1102人の乗員の名が刻まれている。
「韓国の独立記念館なんかを訪れると、日本軍の残虐行為のシーンがいっぱい展示されている。もう身がすくむような思いでまわらなきゃいけない、という思いがパールハーバーにもありました」
ところが、現地を訪れると、「そういう展示がまったくないんですよ」。
アリゾナ記念館に渡し船で移動する前、「戦争への道」という日本が真珠湾攻撃にいたる経過をまとめた15分ほどの映画を見せられた。
「その途中で『太平洋の進出をかけて日本とアメリカがぶつかったのが太平洋戦争です』というフレーズがね、ぽっと出てきた。えっ、アメリカがそんなことを言うのか、と思った。あの戦争を客観的な視点で伝えようとする姿勢が感じられた」