
今季6年ぶりにセ・リーグ最下位に沈んだ中日は、平田良介をはじめ、大量17人(育成も含む)に戦力外を通告。日本一を達成したオリックスも増井浩俊ら14人が戦力外通告を受けるなど、各球団で“リストラの嵐”が吹き荒れた。
そして、過去にも、ファンの記憶に残る大リストラが何度かあった。
FA取得の主力選手を含む6人が一斉解雇され、世間を驚かせたのが、1993年オフの横浜だ。
FA制が導入された同年、有資格者である高木豊と屋鋪要は、権利を行使するか検討中だった。11月8日、球団から呼び出された2人が「FA宣言するかどうかの意思確認」と思ったのも無理はなかった。
ところが、「FAについて球団とじっくり話し合うつもりだった」彼らを待っていたのは「来季は契約する意思はない」という寝耳に水の戦力外通告だった。
高木は「いきなり呼ばれてクビと言われても……」と呆然自失。屋鋪も「ゴミをゴミ箱に捨てるように」と怒りをあらわにした。
高木は前年の契約更改の際に年俸調停を行い、ダウン提示から一転アップをかち取ったことが災いしたといわれる。屋鋪も同年は右膝手術の影響で出場61試合にとどまっていたが、理由はどうあれ、2人ともいきなり戦力外通告を受けるような立場の選手ではなかった。
そして、「チームの若返り」を理由に、まだ1軍でやれるはずの山崎賢一、大門和彦、市川和正、松本豊も揃って自由契約になった。
ベテラン、中堅6人の大量解雇は、巨人からFA移籍してくる駒田徳広の獲得資金を捻出するためという憶測報道もあった。
最終的に高木は日本ハム、屋鋪は巨人、山崎はダイエー、大門は阪神への移籍が決まったが、市川と松本は引退。移籍組4人も1~2年で現役を終え、引退時期を早めた感があった。
一方、31歳の駒田がチーム最年長となり、若いチームに生まれ変わった横浜は、98年に38年ぶりの日本一を達成。リストラが好結果につながったとも言えるが、その後も横浜は、V戦士の石井琢朗や佐伯貴弘が現役晩年に引退勧告や戦力外通告を受けて退団移籍するなど、長くチームに貢献した生え抜き選手に冷たい印象がついて回った。