通常、VARが使用する映像の種類は、中継用のカメラの台数に依存する。W杯カタール大会では中継用映像のほかに、特にオフサイドの判定用のカメラが多数導入され、ボール内のセンサーと組み合わせて半自動で確認できるようになった。
「ボールが蹴られた瞬間の、選手たちの肩や膝、つま先などの位置が正確に表示され、オフサイドラインから『出ている、出ていない』の、客観的な事実を映し出すことができます」
■判定に不満、だから面白い
であれば気になるのは、VARがさらに進化すれば、いずれレフェリーは必要なくなるのではないか?
すると、西村さんは「どれだけAIが進化しても、サッカーには人に判断を委ねざるを得ない部分がどうしても残る気がします」と言い、その一例として「ハンド」を挙げた。
「三笘選手のライン際のプレーやオフサイドについては、VARからの客観情報をレフェリーはそのまま採用します。しかし、ハンドの場合、ボールが手に当たったという事実はVARでもわかりますが、それを『ハンド』とするかどうかは、レフェリーの主観に委ねられます」
この場合の主観とは、その人のものの見方や考えという意味ではまったくなく、「起こった事実を客観的、かつ多面的に分析した結果に導かれた主観」である。
「ボールが来ると思わなくてたまたま選手が広げていた腕も、シュートを打たれることがわかっていて広げた腕も、静止画では同じ『広げられた腕』に見えます。つまり、レフェリーは選手の手や腕にボールが当たったときにハンドの判断をしているわけではなく、手に当たる前のストーリーを全部見て判断しています。でないと、それが『未必の故意』であるのか、偶発的であるのかがわかりません。それはハンドに限らず、スライディング・タックルなどでも同様です。それを機械化することは多分、できないでしょう」
しかし、そんなレフェリーの「主観的な判断」に不満を持つ人が必ず出てくる。それについて聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「でも、そういう人が一定数いるからサッカーは面白いんです。レフェリーの判定に一喜一憂して、かつレフェリーの能力まで楽しむのが現在のサッカーです。それは競技規則にも書かれており、そんなスポーツは多分、サッカーだけでしょう。なので、誰がレフェリーを担当するかがニュースになったりしますね」
■レフェリーは陰の指揮者
西村さんによると、私たちが目にするレフェリーの仕事はごく一部にすぎず、実際は多岐にわたるという。
「レフェリングって、簡単に言うとマネジメントなんです。試合というのは、日々練習を積み重ねてきた選手たちが即興でつくり出す、アートみたいなものです。そのときの状況における最適なプレーがどんどんつくり上げられていく。それをレフェリーは一つひとつ見極めていく」