京都・伏見の自宅から彦根の大学まで、片道2時間かけて電車で通った。工学部は1年生から必修科目が多かった。パソコンソフトで好きな機械の図面を描き、自動計算で間違いを見つけて修正していく授業は面白かった。ただ、1年生の前期にだいぶ単位を落としてしまい、授業から足が遠のいていった。
「高校生のころから人前で何かをするのが好きだったので、演劇サークルに入りました。平井たちとコントもやっていましたし、その活動にすごく時間を割いてしまったんです」
2年生になると、京都の同志社大学のアカペラサークルにも加わった。高校の友人から低音パートが足りないと誘われたからだ。そして大学に入って4年目のある晩、BSでラーメンズの公演を見て芸人を志す。大学には4年間在籍して中退することにした。
「芸人になるので大学を辞めますと学長に言いに行ったら、『また学びたいと思ったらいつでも来てください、応援しています』と言ってくださいました」
結局2人そろってNSCに入学したが、相談した結果ではなく、それぞれの決断だったわけだ。
「月1回、彦根のマクドナルドでお互い近況報告をしていたんです。就職やめてNSCに入るわと言ったら、『俺も入ろうと思ってんねん』と浦井が言うので、『え、それやったらコンビ組んで入る?』となったんです」
大学時代の4年間について2人はこう語る。
「ゼミで教わった『これ、何でなんだろう?』という視点はどの職業でも役立つし、人生を楽しく生きる一つの考え方だと思います。街を歩いていても何かに疑問を持つ姿勢は仕事にも役立っています」(平井さん)
「大学の時は、自分がやらなあかんことが全然できてなかった。でも、あのころうまくいかなかったから今がある。僕の場合はそういう進路の決まり方だったんだなって。おかげさまで、今はどうにかやれています」(浦井さん)
(文/仲宇佐ゆり)
※「国公立大学 by AERA2023」から転載