――就職した専修大学と早稲田大学での16年間は研究ができなかったとおっしゃいましたが。

 私大で教えるのは忙しいんですよ。週に6コマ持つのが当たり前でした。大学院担当じゃないから、自分の弟子は取れないし、研究費もないし。

 この16年間は寿一の研究にぶら下がっていた。彼は、心理学のほうでずっと王道を行っているわけ。大型の研究費もどんどん取っていた。それで、そのメンバーになって、研究の話は毎日していました。本当にいいパートナーと出会えたと思います。今の私が認知科学とか心理学とかを知ってるのは彼のおかげだし、彼も自然人類とか行動生態とかをよく知ってるのは私のおかげだから、別のアカデミアから来ていて同じことを考えるというのはすごく良かった。

――本当ですね。そんなこと、意図してできることじゃないですけど、すごく良かったですね。以前、子どもを持たないことについてお伺いしたとき、「サルを見てたら、雌が子育てをしていて、自分はできないと思った」みたいなことをおっしゃっていました。

 そんなこと言ったかしら。いろいろそのときそのときで考えるんだけど、一つには、やっぱり時代の雰囲気の中にいるから、母親が全部やんなきゃいけないっていう雰囲気がすごくあったでしょ。それで両立できないと思ったの。

――いつごろですか?

 はじめっから。30代って一番モチベーションも高いし、いろいろできるときじゃないですか。そのときに本当に全労力を研究にかけたいと思った。研究をやりたい、そのやりたさに比べて、子供を持ちたいっていう気持ちがすごく小さかった。

――なるほど。

 だから踏み込めなかった。寿一は欲しかったみたい。だけど、私はアフリカでマラリアにかかったし、よくわからない熱性下痢もやって、帰ってきたときは36キロしかなかった。寿一だって48キロだったんじゃないかな。アフリカでは食料難だったからね。だから、体力的に無理だったんですよ。

 ケンブリッジに行ったときは34か35歳でしょ。産むか産まないか、分かれ目の年代。ケンブリッジの女性研究者の中に「そろそろ産む」とか「産むことにしたから辞める」とか言う人がいて、実はすごいグラグラしたのよ。だけど私は何のためにケンブリッジに来たかといったら、新しいビヘイビアルエコロジー(行動生態学)をやるためでしょ。寿一が「欲しいね」なんて言ったけど、「無理!」ってきっぱり。今思えば、産めば何とかなったのかもしれない。

暮らしとモノ班 for promotion
大人のリカちゃん遊び「リカ活」が人気!ついにポージング自由自在なモデルも
次のページ
女の子たちは自分の感性を大事に、正直に貫いて