――自虐的だったんですね。

 そうそう、それが私はすごく嫌で、その中でものすごく悩んだ。私の先生は京大から来た助教授で、最初はゴリゴリの今西進化論者だった。

――へえ、そうだったんですか。読者のためにちょっと説明すると、京大の教授などを歴任した今西錦司氏(1902~1992)がダーウィンの自然淘汰に対抗する説として「生物は棲み分けによって調和のとれた社会をつくっている」と主張したのが今西進化論。社会を形成する個体は「変わるべきときがきたら一斉に変わる」と言ったのですが、そのメカニズムの説明がなく、今は科学理論と見なされていない。

 そう、私は当時からこんなの全然学問じゃないと思って、別のことを考えて喋ると、そんなの学問じゃないと逆に言われて。今西進化論に反対するのは国賊だって京大の人たちに言われました。

 そもそも「生物は種の存続のために行動する」という考え方は、欧米でさんざん議論されたあげく捨てられたものだったのに、日本ではこの古い考え方が学界全体でまかり通っていた。私はほとんど手探りで欧米の最先端の考え方を学んで、本物の進化生物学をやった。それを喋ると、国賊扱い。私と亭主はそれと真っ向から闘ってきました。

――休学してご夫婦でアフリカに調査に行ったのは博士課程のときですね。帰国して博士課程に戻ったんですか。

 ええ。翌年4月から理学部人類学教室の助手(今でいう助教)になりました。あのころは鷹揚というか、博士号を持っていなくても助手に採用された時代でした。それで指導教員は自分の推薦で私が助手になれたんだっていうので大きな顔をしていた。セクハラやパワハラという言葉は当時なかったけれど、人類学教室は本当にひどかった。

――具体的な様子を教えていただけますでしょうか。

 う~ん、雰囲気が全部そうでした。例えば、農学部の先生たちと調査に一緒に関わることもあって、それでお酒を一緒に飲むこともあった。そうすると、農学部の先生が酔っぱらって私のGパンに手を入れてくるとか。野外調査に一緒に行くとしつこく迫ってくるとか。そういうのは日常的にあった。

 雑誌の「ネイチャー」だったかに、フィールドワークに関わっている女子学生が先生や同僚にセクハラやセクシュアルアサルト(性的暴力)を受けたかという調査の記事が以前載っていました。不適切な性的コメントは7割近くが経験していて、身体的な嫌がらせや暴行も2割近くが受けていた。フィールドワークは世界的にひどい状況と言わざるをえません。

――当時、寿一さんに愚痴ったりしたんですか。

 そこが難しくってね。

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「あんたも私の敵ね。さよなら」