と夫は言った。心のどこかで、私のほうに合わせてくれたのではないかと感じていた自分がいたから、この言葉に救われた気がした。名字については、夫とさんざん話してきたつもりだったが、こんなにも根本的なことをまだ知らなかったのだと驚いた出来事でもあった。
私たち夫婦は、名字の選択によってマイノリティーの立場になったからこそ、見えたものがある。私自身は、名字の問題のみならず、何事も選択肢があったほうが、自分の意思で決断できる良さがあると感じる。決断には責任を伴うが、それも含めてそれぞれの生き方を尊重することにつながるのではないだろうか。
一人一人が声を上げることで、少しずつでも変えられることがあると信じたい。根拠なき「こうあるべき」にしがみつく社会でいるのか、個人の自由や多様な考え方を認め合える社会を目指すのか、それを決めるのは政治家ではなく、私たち一人一人だ。
あなたが目指したいのは、どんな社会ですか?
(松岡かすみ)
短期集中連載第1回を読む>>夫婦別姓のリアル「名字、捨てちゃったんだ?」 妻の名字になった夫へ浴びせられる言葉と眼差し