だが、その一方で、将来の主力と見込んで獲得した選手がモノにならず、「あのとき、別の指名候補を獲得していれば……」とファンをボヤかせた“見込み違い”も1度ならずあった。

 監督就任1年目でリーグ優勝をはたした04年のドラフトでは、スカウトが推す“本命”涌井秀章(横浜高)に、「今年は高校生は要らない」と首を縦に振らず、自由枠で28歳の樋口龍美(JR九州)を獲得した。

 即戦力左腕と期待された樋口は「目標は岩瀬(仁紀)投手。どんな場面でも自分の投球ができる投手になりたい」と力強く抱負を語ったが、プロではヘルニアの影響で力を発揮できず、1軍出場のないまま、わずか3年で引退した。

 V2を目指し、即戦力補強に重きを置いた同年は、大学、社会人の選手限定で12球団最多の11人を指名。「100点満点。欲しい選手は全部獲った。あとは入団して鍛え上げていくだけ」と語った落合監督だが、どんなに素質のある選手であっても、故障ばかりはいかんともしがたい。

 今季は19年前のドラフトで指名を見送った涌井が、阿部寿樹との交換トレードで中日に移籍。これも何かの因縁に思える。

 中日GM時代の失敗ドラフトとして知られるのが、GM就任後、本格的に編成にかかわって初めてのドラフトとなった14年のドラ1・野村亮介(三菱日立パワーシステムズ)だ。

 187センチの長身から149キロの速球を投げる野村は、落合GM自ら視察。即戦力で伸びしろも十分な「将来のエースになれる素材」と評価しての1位指名だった。

 同年の中日は、他球団と競合必至の早大・有原航平、または亜大・山崎康晃の両右腕のいずれかを指名するとみられていただけに、野村の名が告げられた直後、会場から「えっ!」という驚きの声も上がった。

「1位指名に驚いた。いい評価をされて入るので、1年目から先発ローテーションでバリバリ投げて新人王を獲りたい」とプロでの活躍を誓った野村は、星野仙一、小松辰雄ら歴代エースが着けていた背番号「20」を貰ったが、1年目にリリーフで3試合に登板しただけで、わずか3年で戦力外に……。

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“オレ流”の指名が裏目に…