評論家としての活躍ぶりはもとより、監督待望論も根強い落合博満氏は、将来活躍する選手をピタリと当てた事例も多く、その慧眼が“落合の予言”として、もてはやされているのは、ご存じのとおりだ。
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中日選手時代の1993年には、打撃不振で戦力外になったマット・ステアーズを「いずれ彼はいいバッターになる」と大リーグでのブレイクを予言し、現役引退後にも、ダイエー2軍時代に故障続きで伸び悩んでいた斉藤和巳が、将来大化けすることを見抜いていた。
さらに日本ハムルーキー時代の大谷翔平の二刀流に対し、否定的な声が大半を占めていた時期にも「どちらか一本でいけと言ったら、両方ダメになる」と擁護したことで、その目の確かさを証明している。
だが、予言はあくまで予言。野球には不確定要素が多いだけに、外れることも少なくない。
“予言外し”として、よく知られているのが、中日監督時代の2010年に入団した外野手、ディオニス・セサルへの“最高評価”だ。
同年2月の春季キャンプでボールをギリギリまで引きつけて、確実に打ち返すセサルを見た落合監督は「お前は今までやって来た外国人選手の中で一番質が高い」と絶賛した。
だが、セサルはオープン戦で日本の投手の変化球に対応しようと意識するあまり、打率.119と不調を極め、シーズンでも攻守に精彩を欠いたまま、.215、1本塁打、10打点とまったく期待外れの成績でお払い箱になった。
「あれからおかしくなってしまった。日本の野球に合わせそうとし過ぎたんだ。ふだん褒めない人間が褒めるとろくなことがない。来年は褒めないよ」と自戒する羽目になった落合監督だが、セサルは帰国後も華々しい活躍をすることなく消えていった。
次はドラフトでの“予言”を振り返ってみよう。
中日監督時代の10年ドラフトで、当時肩を痛め、他球団が指名をためらっていた仏教大の左腕・大野雄大を「左が手薄になるのは、わかりきっている。吉見(一起)とか(故障している選手を獲るのは)初めてではない」と単独1位指名したのは、まさに“オレ流”とも言うべき先見の明だった。