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誰もが幸せな人生の終え方を望み、それを思い描くだろう。しかし、些細なことが原因で、想像だにしなかったかたちで亡くなることもある。写真家・高重乃輔さんの祖父母もそうだった。
3年ほど前、高重さんは高齢の祖父母が鹿児島県・種子島を離れて福岡の都会で暮らすことになったことを父から知らされると、驚き、寂しく思った。
「もう、ええっ、て。祖父母が都会に住むなんて想像できなかった。本当に島の人なんですよ。島と祖父母は切っても切れないような関係だと思っていたのに。そんなことがあるのか、って思いました」
高重さんは祖父母を撮り始めた理由を写真展「最後の旅」の案内に、こう書いている。
<祖父は九十四歳。身体は元気だったけれど、物忘れが多くなっていた。祖母は八十八歳。怪我が続いて、介護施設と病院とを出たり入ったりしていた。二人だけで島で暮らすのは、だんだん難しくなってきていた。でも、だからといって、晩年になってどうして島を出なくてはならないのか。二人は長い間、そこで暮らしてきたというのに。私は、島を離れることになった二人を、写真に残したいと思った>
■「お前の言うことはわかるけど」
作品は2020年8月、祖父母の引っ越しを手伝うため、高重さんが種子島を訪れた場面から始まる。ところがその後、祖父母の暮らしは思いがけない方向へ進んでいく。
2人が福岡の叔母の家に転居した翌日、祖母は食事を喉に詰まらせて入院。コロナ禍で面会もままならないまま、翌年6月に息を引き取った。
残された祖父は叔母の家を出て、介護サービス付きのマンションで1人暮らしを始めるが、ほどなくして亡くなった。
「孫の自分から見て、なんで島を出ちゃったんだろう、こうだったらよかったのにとか、理想論というか、責任のない立場で言っているのが今回の写真展」
そのなかに高重さんは父の写真を組み入れた。
理想論を語る高重さんに対して、父親は「お前の言うことはわかるけど」と、諭した。
「祖父母が島を出ることになったのは、叔母と祖父、父と祖父の関係の中で決まったことでした。それに対してぼくが、祖父母はこうじゃないか、みたいなことを言っても、父の心には全然響かなかった。撮影していたときは意識していなかったのですが、父と祖父母の関係は、自分と父、つまり親子の関係を考えないと理解できないことに気がついた。それで作品のなかに父の視点も入れました」