

長嶋や王がヒマワリだとすれば、こっちは人目に触れないところで咲く月見草――。
【写真】三木谷オーナーについて語った野村さん。力強い口ぶりが伝わる
11日、84歳でこの世を去った野村克也さんは、現役時代、監督時代を問わず、数多の名言を残した。そして、ぼやいた。野村さんの言葉には、不思議と耳を傾けたくなる説得力があった。
言葉の矛先は選手やメディアだけではなく、ときに球団関係者にも向けられた。徹底したプロ意識の強さは球団オーナーに対しても揺らぐことはなく、70歳で楽天の監督に就任した際には、「三木谷オーナーだって、俺が教育する」と力強く語っていた。その三木谷氏は野村監督の訃報を受け、ツイッターで「誰も引き受けてくれなかった駆け出し球団の監督を引き受けて頂き、イーグルスの礎を築いて頂きました。感謝しかありません。ありがとうございました」と綴っている。
週刊誌「AERA」では、2006年1月23日号で、楽天・野村新監督にインタビューをしていた。年を重ね、「失うものは何もない」とあっけらかんと言い切る一方で、現場に立ち続ける貪欲さを語っていた。ここでは、当時のインタビューを追悼とともに再掲する(記事中の年齢、肩書、日付などは掲載時のまま)。
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「ネクタイいがんでない? きょう、お葬式行って来て、黒ネクタイ締めていたから、いま変えて締め直したんだ。全部自分で選ぶんだよ」
1月10日夕、予定の時間に約30分遅れて取材会場の東京・赤坂プリンスホテルに入ってきた野村克也氏(70)。年末に82歳で亡くなった永谷園創業者の永谷嘉男氏の弔問で遅れたのだという。
故人と言えば、野村氏は先月、因縁浅からぬ人をもう一人喪っている。前オリックス監督の仰木彬氏である。野村氏と同じ70歳。同じように高校からプロ入りし、同じパ・リーグ育ちで、ともに輝かしい監督歴を誇るが、人柄も野球観も全く異なる。仰木氏は「選手の自主性とスタイル」を尊重し、あの豪放流麗な「三原マジック」の後継者と言われ、慕われた。