やり直せる人とそうでない人の違いを「ここ(会社)が自分の居場所だと思えるかどうか。とにかく孤独にさせてはいけない」と言う廣瀬は、7人ほどの全社員の夕食を毎日作り、一緒に食べる。廣瀬の手料理に涙を流さんばかりに喜ぶのに、数日後は荷物を置いたまま突然いなくなる人もいる。
「裏切られても信じ続けるしかないよねって、三宅さんにいつも励まされる」
同社に採用された30代男性は両親が離婚。心が不安定になり不登校に。高校に行かず溶接工として働いたが、人間関係のストレスから罪を犯し刑務所へ。服役後、母親に身元引き受けを頼んだら「家に戻ってくるな」とにべもなかった。更生保護施設を経て解体の仕事に就いたが、周囲に不満を募らせ窃盗で捕まった。
舞い戻った刑務所で、同部屋だった受刑者に「Chance!!」があることを教えてもらう。廣瀬と三宅両方に手紙を書いたら、それぞれ返事をもらった。出所の際、廣瀬が車で片道4時間かかる刑務所まで迎えにきてくれたのには驚いた。
「僕なんて社会から見放された人間じゃないですか。それなのに、こうやって仕事ができて、毎日みんなとご飯食べて、愚痴とか話を聞いてもらえる。今までの人生で一番幸せです」
そう話す男性は、三宅の言葉を支えに生きる。
「世の中で差別されていい人なんてひとりもいない。自分の過去が、価値に変わる日が必ず来る。本気で変わりたいと思えば、人は変われるよ」
このことを、三宅は身をもって知っている。
新潟県に生まれ、両親ともに地方銀行に勤務。母・毬子(まりこ)は勤務する銀行を相手取り、男女間の賃金格差の是正を訴える「男女差別裁判」を起こして勝訴。三宅によると、1986年に施行される男女雇用機会均等法への流れを作った裁判だ。父・茂は「定年制延長裁判」を11年闘って敗れたものの、現代の雇用制度の源流になった。
知性と教養、正義感あふれる両親を、三宅は心から尊敬していた。が、何しろ忙しい。会議や仕事でほとんど家にいない。食事を作ってくれるのも、参観日に学校に来るのも父方の祖母。11歳年上の姉・泉(59)は頭脳明晰でやさしかったが、三宅が小学3年生のときに上京してしまう。
誰も私の話を聞いてくれない、という孤独感。
立派すぎる親を超えられない、というジレンマ。
思春期と相まって、心がぐらぐら揺れた。
「それだけでグレたわけではないが、寂しさはあった。反発なのか、愛情の裏返しなのか。両親を尊敬する一方で、大っ嫌いだった」(三宅)
その変貌ぶりは、当時の人気ドラマ「積木くずし」の主人公を地で行った。小学生までクラス委員長と優等生だったのに、中学に上がった途端ヤンキー時代が幕を開ける。最初こそ赤い絵の具で髪を染めて登校するというかわいいものだったが、持ち前の学習能力で悪いことを覚えていく。すぐにライト級の非行少女になった。
シンナーは吸わねど、たばこ、酒、夜遊び。パンプスを履き、大人の気分を味わえるチャイナドレスを着た。仲間に褒められるとうれしくなった。
(文/島沢優子)
※記事の続きは「AERA 2019年10月28日号」でご覧いただけます。