親の口ぐせって、すぐ子どもに移りますよね。最近、我が家の3歳児がやたら「ごめん」という言葉を口にするのです。「靴下はくの、忘れてるよ」「あ、ごめん」。「今日はもうテレビ見ないって言ったでしょ」「ごめんごめん」。わたしが何かにつけ「ごめん」と言うのがうつってしまったようです。
「ごめん」は、心から謝るときにだけ使ってほしいのです。でも、母であるわたしが「これは失敬」とか「うっかりしてた」という意味で連発しているせいで、「ごめん」の重みがちっとも子どもに伝わっていません。
さらにわたしは、「ごめん、ちょっと遅れるかも」のように、遅れる前から先回りして謝ることもあれば、「長文ごめんね」のように、謝るなら長文メールなんて送らなきゃいいのに言い訳のように謝ることもあれば、「ごめん、とにかくごめん」のように、相手との議論を避けたいがためにとりあえず謝る、ということもあります。謝ってばかりです。
こうした己の短所を帰納法的に国民性に結び付けるのはたいへん気が引けるんですが、それにしても、日本人ってよく謝っていませんか。
というのも、海外留学中にクラスメートから言われたことがあるんです。「日本人はすぐに『ごめん』って言うよね。『ごめん』って言わなきゃいけないようなこと、最初からしなければいいのに」と。彼は決して日本人を責めているわけではなく、神妙な面持ちで「ごめん」と謝りながらも同じミスを繰り返す日本人のことが不思議でたまらず、こんな発言をしたようです。返す言葉がありませんでした。
さらに、アメリカで暮らしていると、アメリカ人の謝らなさに圧倒されることが多いんです。「日本人ならこの場合、絶対謝るよね! 確かにわたしにも0.1パーセントくらい非はあるかもしれないけど、99.9パーセントそちらのせいなんですから、こっちの気を静めるためにもひと言『ごめん』くらい言っていいんじゃなくて!?」という場面に、毎週のようにぶつかります。けれども彼らに言わせると、「100パーセント『自分が悪い』と確信できない場合、謝るのはむしろ不誠実だ」ということなんだそうです。