渡辺:ソロにしてもサザンにしても、最後に変な神輿とか出しちゃうでしょ(笑)。あの一種のエンターテイナーとしてのセンスが、この「ひとり紅白歌合戦」に十分生かされてますよね。
柴:そうですね。あれだけいい曲があって、あれだけいい感じに締められそうなのに(笑)。
渡辺:僕らの子どもの頃って歌番組がものすごくたくさんありました。それに、お笑い番組でも歌が2、3曲入るという構成だったから、年がら年中テレビをつけると誰かが歌っていたんです。
柴:「8時だョ! 全員集合」でも、ステージが撤収して歌手が出てくるというのは、子どもの頃の原風景ですね。
柴:桑田さん自身は、自分で歌詞を書いて自分で曲を作ってきました。つまり、自作自演の文化の中から出てきた方ですけど、作詞家、作曲家が築き上げた歌謡の世界というものにリスペクトを感じます。
渡辺:それ、すごくわかる。
柴:歌謡曲って、作曲家がいて作詞家がいて歌手がいるという分業制の世界。作曲家が書くメロディー、作詞家が時代の空気や人々の心とか情念みたいなものを言葉に宿し、それを歌で表現する歌手がいる、そういう世界の中で歌謡曲はできあがってきました。桑田さん自身がやってきたこととは違うだけに、そこに対するリスペクトを強く感じました。
渡辺:そうそう。たとえば85年の「熱き心に」(小林旭)は、大瀧詠一さんが作曲、昭和歌謡の代表格、阿久悠さんが作詞、それを昭和の大スター小林旭さんが歌う。当時からシームレス感がある曲なんですよ。時代が繋がっていく感じ。
柴:大瀧さんもメンバーの一人だったはっぴいえんどって、当時はどっちかというとオルタナティブミュージックですよね。以前、(元はっぴいえんどの)松本隆さんにインタビューさせていただいたときは「基礎工事をやり直すために縁の下にもぐった」と言われていました。歌謡曲の分業制度は保ちつつ、松本さんや大瀧さん、それに細野晴臣さんらが、クリエイティブやセンスの部分をがらっと変えた。そういう意味で、「熱き心に」はいろいろな方向からの交差点になるような曲ですね。
柴:以前、ラジオで「平成30年間のJ-POP」というテーマで語ったことがありますが、平成で音楽業界の調子が良かったのは最初の10年だけで、残りの20年はCDが売れずに景気の悪い時代だと思われています。
渡辺:確かに、そうでした。
柴:でも、一方で名曲がカバーで再評価されて歌い継がれるようになった時代だと思っているんです。中島みゆきさんの「糸」みたいに埋もれていた名曲も発掘しようという機運が徐々に醸成されたのが平成の後半。いい曲はどんどん歌い継いでいこうというようにです。桑田さんの「ひとり紅白歌合戦」は、ある意味、その集大成じゃないでしょうか。
渡辺:そうですね、集大成で全方位。ここまでやられたら誰も勝てません(笑)。
(編集部・三島恵美子)
※AERA 2019年6月10日号