2008年、13年、そして18年と3回にわたって開催した桑田佳祐「ひとり紅白歌合戦」。その第三回の映像パッケージが、6月5日に発売される。名曲を歌い上げた桑田の“歌謡愛”をまもなく60歳の渡辺祐と40代の柴那典が振り返る。
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柴那典(以下、柴):僕、1976年生まれの42歳なんですけど、「ひとり紅白歌合戦」の映像を改めて見て、不思議と「曲を知らない」という感覚がなかったんです。
渡辺祐(以下、渡辺):僕は桑田さんのちょっと下で、もうすぐ60歳。桑田さんとほぼ同じ世代ですけど、自分が生まれる前の歌もあるのに、全部知ってる。これって桑田さんも言っていたけど、自分が生まれる前の歌がその後もずっと流れていたということですよね。
柴:僕のもっと下の世代も、きっとそう思うんじゃないかと。桑田さんは「大衆音楽」と言っていました。「歌謡曲」とか「J-POP」と呼ぶと時代と結びついてしまうけど、大衆音楽って言うとどの時代の流行歌も全部含まれる。違うのは時代だけで、すごく繋がっているんですよね。
渡辺:そう、フォークやニューミュージック、J-POPが地続きな感じ。もちろん桑田さんの声で、かつ、一人で歌っているからという演出もあるけど、でも繋がってるんだという感じがしましたね。
渡辺:昭和歌謡のリアル世代から選曲を見ると、明るく楽しいアイドル歌謡というのが少なめで、やや業が深い曲の方が多めの傾向にあるかな、と。
柴:確かに、昭和って言っても60年代から80年代前半の曲が多いイメージですね。
渡辺:具体的にいうと近藤真彦の「愚か者」や中森明菜「少女A」、山口百恵「プレイバックpart2」だったり。これは桑田さんの大衆音楽に対する視線を感じるな。
柴:桑田さんも、弱さとかずるさとか、そういうのを叫ぶためのものだったと言われてましたね。
渡辺:まさにその通りだなと。立川談志さんが「(落語は)業を肯定する」って言葉を使ってましたが、桑田さんの大衆音楽の視線はこれなんだなって。今どきの言い方でいうとプレイリストということで、桑田さんが選んだ昭和・平成の大衆音楽プレイリストってことですからね。