【熊本地震の被災者】梅崎世成さん(22)/「生きづらいとまでは言いませんけど、障害者は肩身が狭いというのは感じます」。地元で震災障害者は一人も知らないと話す (c)朝日新聞社
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【熊本地震の被災者】梅崎世成さん(22)/「生きづらいとまでは言いませんけど、障害者は肩身が狭いというのは感じます」。地元で震災障害者は一人も知らないと話す (c)朝日新聞社
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 地震災害に遭い、体や心に障害を負う──。「震災障害者」と言われ、1995年の阪神・淡路大震災の支援者らの間で使われ始めた。本地震からまもなく3年。地震や豪雨などの災害によって負傷し、 後遺症に悩む「震災障害者」が、支援もなく、孤立感を深めている。

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 一見、右足が義足だとはわからない。

「異物に向けるような目で見られるので、半ズボンははかなくなりました」

 熊本にあるキャンパスに通う東海大学農学部4年の梅崎世成(せな)さん(22)はそう話す。

3年前の2016年4月16日未明、熊本を襲ったマグニチュード7.3の熊本地震で、右足の膝上から先を失った。住んでいた熊本県南阿蘇村の木造2階建てアパートが倒壊し、その下敷きになったのだ。

 救出されたのは、夜が明けた約6時間半後。搬送先の病院で医師から、「右足は切断しないといけない」と告げられた。数日後、病院の集中治療室で上半身を起こした。足を見た。右足が……ない。頭の中が真っ白になった。

 障害等級3級の認定を受けた。懸命なリハビリを続け約3カ月で退院し、それから2カ月後には復学。しばらくして、杖なしで歩けるようにもなった。

 だが生活は元通りには戻らない。歩くこと以外、走ることもジャンプすることも、つま先立ちすることも、重たいものを持つこともできない。周囲から邪険に扱われることはないが、健常者の気持ちもわかるだけに、完全に邪魔者扱いされていると肌で感じる。何よりつらかったのが他人の視線だ。夏に半ズボンで義足をさらし街中を歩いていると、周囲からの突き刺すような視線を感じた。

「当たり前のことですけど、普通の人は義足を見慣れていませんし、僕も義足をはくまでの19年間、本物を見たことがなかった。だから義足で歩いていれば見られます。楽しいものではない」

 助かった命に感謝して前向きに生きたい。それでも、なぜ自分だけこうした目に遭ったのかと思う。その怒りをぶつけたいが、自然が相手のことだけに怒りの持っていき場がないと言う。

「肩身が狭く、関心を持たれないようにすると孤立して取り残されている感じがします」

(編集部・野村昌二)

AERA 2019年4月15日号より抜粋