【キリストの墓・キリスト祭】青森県新郷村/キリストの墓とされる塚の前で踊る地元の女性たち。昔は子どもを初めて外に出す時、魔よけのため額に墨で十字を描く風習もあったという。「墓」の周辺は「キリストの里」と呼ぶ公園に整備され、湧説の成り立ちを展示した「キリストの里伝承館」もある(撮影/編集部・野村昌ニ)
【キリストの墓・キリスト祭】青森県新郷村/キリストの墓とされる塚の前で踊る地元の女性たち。昔は子どもを初めて外に出す時、魔よけのため額に墨で十字を描く風習もあったという。「墓」の周辺は「キリストの里」と呼ぶ公園に整備され、湧説の成り立ちを展示した「キリストの里伝承館」もある(撮影/編集部・野村昌ニ)
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【キリストの墓・キリスト祭】青森県新郷村/昔は子どもを初めて外に出す時、魔よけのため額に墨で十字を描く風習もあったという。「墓」の周辺は「キリストの里」と呼ぶ公園に整備され、湧説の成り立ちを展示した「キリストの里伝承館」もある(撮影/編集部・野村昌ニ)
【キリストの墓・キリスト祭】青森県新郷村/昔は子どもを初めて外に出す時、魔よけのため額に墨で十字を描く風習もあったという。「墓」の周辺は「キリストの里」と呼ぶ公園に整備され、湧説の成り立ちを展示した「キリストの里伝承館」もある(撮影/編集部・野村昌ニ)

 古くから人々の心を捉えてきた河童や源義経の伝説。青森にキリストの墓、秋田にピラミッド、福島にUFOの聖地――。東北には不思議な伝説が数多く残る。一体なぜ?

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*  *  *

 浴衣姿の20人ほどの女性たちが、呪文のようなフレーズに合わせ輪になって踊っている。

「ナニャド~ヤ~ラ ナニャドナサレ~ノ ナニャド~ヤ~ラ」

 輪の中心にあるのは……驚くなかれ、十字架がそそり立つ「キリストの墓」だ。

 ここは秋田県との県境にある青森県新郷(しんごう)村の戸来(へらい)地区。6月の第1日曜日、盛大に開かれる「キリスト祭」は今年で55回目を迎えた。人口2500人ほどの村に約1千人がつめかける。外国人の姿もあり、不思議そうに踊りを眺めていた。

「踊ると背筋がシャキッとしますね。キリストのお墓の前ですから」

「ナニャドヤラ」保存会長の佐藤久美子さん(70)は舞い終えた後、楽しそうに話した。

 佐藤さんによれば、ナニャドヤラとは元々、青森県南部から岩手県北部など旧南部藩に伝わる盆踊り。しかしその意味も語源も、諸説あるがよくわかっていないという。

 それにしてもイエス・キリストがなぜ青森に眠るのか。ゴルゴタの丘で磔(はりつけ)にされたはずではなかったのか。渦巻く疑問に対し、新郷村の元職員で「日本国青森県新郷村キリスト日本渡来説案内人」を名乗る永野範英(のりひで)さん(62)は次のように話す。

「1931年に『竹内文書(もんじょ)』が発見されるんですけど、その中にキリストの遺言状らしきものがありまして……」

『竹内文書』とは、超古代の歴史を記したとされる古文書だ。茨城県磯原町(今の北茨城市)にある皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の管長を務め、天津教(あまつきょう)教祖だった竹内巨麿(きよまろ)(1875~1965)の自宅に伝わっていた。そこに「キリストが戸来に住んでいた」と記されていた。竹内氏は4年の歳月をかけ「戸来」の場所を突き止め、小高い丘の竹やぶの中に土饅頭(どまんじゅう)を発見するとこれをキリストの墓と「認定」した。そこに村が十字架を立てたのだ。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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