三菱日立パワーシステムズ横浜時代は187センチ、85キロの恵まれた体から繰り出す最速149キロの重い直球を武器に侍ジャパンのU21代表に選出。落合博満GMが連投でも球威が落ちない点を評価し、競合必至の1位候補を差し置いて単独1位指名で“一本釣り”した。

 入団会見で背番号「20」について質問された野村は「今まですごい投手がつけていたので、それに負けないぐらいのピッチャーになりたいと思います」と決意を新たにした。

 だが、「1年目は開幕から先発ローテーションに」と張り切り過ぎたのが裏目に出て、右肩痛や不調で出遅れた。

 6月25日のヤクルト戦で9回にリリーフとしてプロ初登板も、「良い投球をしよう」と力み、4安打を浴びて3失点。その後、7月4日の巨人戦、同14日のヤクルト戦で登板も、四球や安打の走者を許すなど安定感を欠き、登板3試合でシーズンを終えた。

 2年目も故障が相次ぎ、2軍で0勝1敗、防御率9.75に終わった3年目のオフに早過ぎる戦力外通告を受けた。

 背番号「34」で入団した小松が胴上げ投手を経て、7年目に20番を貰ったように、エースナンバーは真のエースになってからつけるべきなのかもしれない。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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