顔にアザがあるから大変な思いをして生きている――取材する立場としてこういった思い込み、先入観がゼロだったとは言い切れない。自戒しなければいけないと考えると、こちらの気持ちを見透かすように続けた。
「取材する方が私を見て、病気で大変な思いをしたっていうストーリーを作る気持ちは分かるんです。いじめの話で言えば、もしかしたら陰で言われていたかもしれない。でも、私は自分の容姿がいじめの原因だと思いたくなかった。見た目が原因で不幸を背負って生きていくのは嫌だなって。強がっていると捉えられるかもしれないけど、実際に容姿でいじめに悩んだというのはないんです」
小学校の時から、学校行事でも遊びでも常にリーダーだった。担当教諭から児童会長を勧められた時も、違和感を覚えなかった。部活動は金管クラブでトランペットのパートリーダーに。中学、高校はバスケ部で打ち込んだ。思春期の多感な時期に、アザがあったことが全く気にならなかったわけではない。試合で他校に行くと視線を感じる時もあった。しかし、思い悩むのとは違う。「見た目の問題で言えば、私だって身だしなみをあまりにも整えない方やだらしのない方が苦手だし、顔や見た目の好みもある。顔にアザがある人を怖いと思う人がいるのも現実です。無自覚レベルで恐怖心を持ったり気持ち悪いと思ったりする人に、『差別しないで』とは思わない。誹謗中傷するのはよくないですけど、相手がどう受け止めるかはコントロールできないですから」と思いを語る。
外見で心ない言葉を直接ぶつけられたこともあった。高校生の時に派遣のバイトで面接を受けた際には、担当者から「その顔でもできる仕事を探そうね」という趣旨の言葉を掛けられた。驚きのあまり、言葉を失った。「当時はまだ高校生だし、うまく立ち回る方法も分からない。怒ることすらできなかった。でも、この会社で働いてもうまくいかないなと感じて……。『有名になって恨みを晴らしてやろう』とちょっと思いましたけど」と笑う。
ただ、日本の社会で生きづらさを感じていたわけではない。小さい頃から考えが同世代の子どもたちより大人びていた。「いろいろな人が世の中にはいる」と達観して物事を考えるようになっていた。価値観が揺さぶられたのは、フィリピン・セブ島の語学学校でのインターンシップ体験だった。
「大学に入って、世界を回った方たちの話を聞いて自分も行ってみたいなと思って。セブ島で感じたのは楽に生きていいということでした。外国に行ったらアジア系の人や移民がたくさんいる。良い意味でも悪い意味でも固定観念がないんですよね。『顔にアザがあるのに表に出るのがすごいね』と一度も言われませんでした。ある一点の印象で『何とかなのにこうだよね』と言われるのが窮屈で。『アザがある私』を背負いすぎるとつらくなんです。表現が難しいけど、アザ抜きの自分という人間の時もある。変わることを許すというか、流動的でいい世界があることを知って暮らしやすかったですね」